山本光将

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山本 光将
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県菊池市[1]
生年月日 (1984-08-30) 1984年8月30日(39歳)
身長
体重
184 cm
95 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 2002年 ドラフト5巡目
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山本 光将(やまもと みつのぶ、1984年8月30日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手外野手)。

来歴・人物

熊本工高時代に通算61本塁打を記録し、「九州のカブレラ」と呼ばれる。

2002年のドラフト5位で読売ジャイアンツに入団。入団時の背番号61は、熊本工高時代の通算本塁打が61本であることと、熊本工から61人目のプロ野球選手であることから付けられた。

しかし、入団4年間で一度も一軍に出場が無く、2007年は支配下登録から外れ、育成選手としての登録となった(イースタン・リーグ チャレンジ・マッチに出場することが多かった)。

2008年も育成選手として契約、3班制を敷いた2008年春季キャンプではB班に属したが、紅白戦では無安打に終わっている。同年、戦力外通告を受け退団。その後12球団合同トライアウトに参加。複数球団が興味を示しているとの報道もあったが、実際に戦力として獲得する球団は現れず現役を引退。

2009年4月に開校するジャイアンツアカデミーのフランチャイズスクール「ジャイアンツメソッド宮崎ベースボールスクール」(現:九州ベースボールアカデミー 宮崎校)のコーチに就任することとなった。その後、熊本校のコーチも務めた。

その後、巨人を離れ、学生野球資格回復研修を受けて、2015年3月4日に資格を回復させた[2]

2020年6月27日には巨人とOBスカウトとしての契約も締結。熊本エリアの有望選手の情報を巨人に提供する役割を担う[3]。プロ球団と関わりを持つため、回復していた学生野球資格は喪失した。なお、OBスカウト契約が切れたためか、翌年の5月6日には資格が再回復している[2]

選手としての特徴・人物

荒削りながらも豪快なバッティングが売りで、かつては将来の4番候補として期待された選手。1年目(2003年イースタン)には103打数中44三振を喫しながらも6本塁打を記録。イースタン通算でも461打数で16本塁打を記録している。

出場機会を増やすべく、一塁手捕手(配球が不要なワンポイント捕手)での起用もされたこともある。

詳細情報

年度別打撃成績

  • 一軍公式戦出場なし

背番号

  • 61 (2003年 - 2006年)
  • 101 (2007年 - 2008年)

脚注

  1. ^ 九州ベースボール アカデミー 熊本校 スタッフ紹介 2014年6月2日閲覧
  2. ^ a b 学生野球資格回復に関する規則 第4条による認定者”. 日本学生野球協会. 2021年8月21日閲覧。
  3. ^ 読売巨人軍OBスカウトとの契約締結について”. 読売ジャイアンツ (2020年6月27日). 2020年9月19日閲覧。

関連項目