山形高等学校 (旧制)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。ジャムリン (会話 | 投稿記録) による 2013年8月18日 (日) 10:59個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎沿革: link)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

山形高等学校
創立 1920年
所在地 山形県南村山郡東沢村
(現・山形市
初代校長 三輪田輪三
廃止 1950年
後身校 山形大学
同窓会 ふすま同窓会

旧制山形高等学校 (きゅうせいやまがたこうとうがっこう) は、山形県南村山郡東沢村(現在の山形市)に設立された官立の旧制高等学校

概要

  • 改正高等学校令に基づき官立の三年制高等学校として設立され、高等科 (文科・理科) を設置した。
  • 第二次世界大戦後の学制改革により新制山形大学に包括され、文理学部 (現 人文学部・理学部) の母体となった。
  • 同窓会は 「ふすま同窓会」 と称し、旧制 (山形高)・新制 (山形大学文理学部・人文学部・理学部) 合同の会である。
    • 同窓会名・校章に使われた 「ふすま」 とは、地元の鳥海山固有種の高山植物 「チョウカイフスマ」 (Arenaria merckioides var. chokaiensis) を指す。

沿革

  • 1920年4月17日: 山形高等学校設置。
  • 1920年8月2日: 第1回入学式。
  • 1920年9月4日: 仮校舎 (山形中学校校舎) で授業開始。
  • 1920年10月5日: 創立祝賀会開催。
  • 1921年1月: 南村山郡東沢村 (のちの山形市小白川町) の新築校舎に移転。
  • 1921年4月: この年から 4月入学に変更。
  • 1921年11月: 学寮にて賄征伐事件。
  • 1922年10月5日: 第1回学寮記念祭 (以後毎年 10月5日に挙行)。
  • 1923年3月: 第1回卒業。
  • 1924年5月17日: 校舎落成式挙行。
  • 1925年4月: 学寮調理部、自営に変更。
  • 1928年6月: 同盟休校事件発生。
  • 1936年9月: 校旗制定。
  • 1938年4月: 校歌制定 (島村盛助[苳三] 作詞、大中寅二 作曲)。
  • 1945年5月: 軍医学校が構内に疎開 (- 1945年9月)。
  • 1948年5月: 東北大学評議会にて、二高・山形高を合併する決議。
  • 1948年7月: 東北大学への合併を断念。
    • 文部省の方針に従い、山形県内の旧制高等教育機関と共に新制大学設立となった。
  • 1949年5月: 国立学校設置法により新制山形大学設置。
    • 文理学部の母体として包括される。
  • 1950年3月: 旧制山形高等学校、廃止。

歴代校長

  • 初代: 三輪田輪三 (1920年4月 - 1926年3月)
  • 第2代: 葉山萬次郎 (1926年3月 - 1930年4月)
  • 第3代: 久保良澄 (1930年4月 - 1935年9月)
  • 第4代: 石井忠純 (1935年9月 - 1936年9月)
  • 第5代: 佐野保太郎 (1936年9月 - 1941年4月)
  • 第6代: 西沢富則 (1941年4月 - 1944年11月)
  • 第7代: 日野月明喜 (1944年11月 - 1947年10月)
    • (校長事務取扱者)柳原吉次 (1946年11月 - 1947年10月)
  • 第8代: 高橋里美 (1947年10月 - 1948年7月)
  • 第9代: 北岡馨 (1948年7月 - 1950年3月)
    • 新制山形大学文理学部 初代学部長 (1949年5月 - )

校地の変遷と継承

1920年の創立当初は山形県立山形中学校 (現・山形県立山形東高等学校) の校舎を間借りした。翌1921年1月に、南村山郡東沢村の校舎が竣工し、移転した。1931年4月以降は学校の所在地を山形市小白川町としているが、同じ校地であり、学校の廃止まで維持された。小白川校地は後身の新制山形大学文理学部に引き継がれた。

エピソード

第二次世界大戦中、日本でも、都内にあった理化学研究所原子爆弾が開発され、戦況の悪化に伴い、理化学研究所が疎開した。その疎開先が旧制山形高等学校であり、当地でも人知れず研究が行われたとの事である。

著名な出身者


関連項目

関連書籍

  • 山形高等学校四十年記念会(編) 『創立四十年誌』 1960年10月。

外部リンク