小町 (鎌倉市)
小町 | |
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JR鎌倉駅東口駅舎(2009年5月30日) | |
北緯35度19分8.21秒 東経139度33分3.86秒 / 北緯35.3189472度 東経139.5510722度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 鎌倉市 |
地域 | 鎌倉地域 |
面積 | |
• 合計 | 0.40 km2 |
人口 | |
• 合計 | 2,013人 |
• 密度 | 5,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
248-0006[3] |
市外局番 | 0467 (藤沢MA)[4] |
ナンバープレート | 横浜 |
小町(こまち)は神奈川県鎌倉市鎌倉地域にある大字。現行行政地名は小町一丁目から小町三丁目。住居表示実施済み区域[5]。郵便番号は248-0006[3]。
地理・歴史
小町大路の滑川にかかる夷堂橋以北を小町とし、以南を大町と呼称したため、大町に対して小町と名付けられたと伝えられる。
吾妻鏡によると、中世鎌倉の商工業地域であったと記されている。また、歴代の北条執権邸や有力御家人の館の多い地域であった。承元4年(1210年)11月20日に、小町に所在する北条泰時らの御家人の邸宅が消失したとの記録がある。また和田合戦においても、小町の北条義時第の西門と北門を襲撃したことから始まったという。 鎌倉幕府が滅亡した元弘の乱の最後の戦いで、新田義貞軍に攻められた北条高時ら北条一族と家臣が東勝寺において自害したと伝わる(東勝寺合戦)。
昭和14年(1939年)に鎌倉市の大字となり、昭和41年(1966年)に住居表示に伴い小町一丁目-三丁目となった。現在の鎌倉駅東口側の地域であるが、小町通り周辺は小町のほか雪ノ下も含まれる。
世帯数と人口
2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
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小町一丁目 | 161世帯 | 326人 |
小町二丁目 | 483世帯 | 1,212人 |
小町三丁目 | 215世帯 | 475人 |
計 | 859世帯 | 2,013人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6][7]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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小町一丁目 | 全域 | 鎌倉市立御成小学校 | 鎌倉市立御成中学校 |
小町二丁目 | 全域 | ||
小町三丁目 | 全域 | 鎌倉市立第二小学校 | 鎌倉市立第二中学校 |
交通
鉄道
道路
施設
寺社・旧跡
その他
著名な住民
参考文献
- 奥富敬之 『鎌倉史跡事典』 新人物往来社 1999
- 三浦勝男編 『鎌倉の地名由来辞典』 東京堂出版 2005
脚注
- ^ “平成28年(2016年)版鎌倉の統計”. 鎌倉市. 2018年2月22日閲覧。
- ^ a b “鎌倉の人口と世帯数(地域・町丁・字別)”. 鎌倉市 (2018年1月26日). 2018年2月22日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月22日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月22日閲覧。
- ^ “鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2017年2月7日). 2018年2月22日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
- ^ “鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
- ^ http://www.1938.jp/osaragi/