宮本和志

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宮本 和志
プロフィール
リングネーム 宮本 和志
ザ・グレート・カズシ
本名 同じ
身長 182cm
体重 107kg
誕生日 (1979-02-22) 1979年2月22日(45歳)
出身地 福島県双葉郡
スポーツ歴 相撲
アームレスリング
ボディビル
トレーナー 川田利明
馳浩
ジョニー・スミス
デビュー 2001年8月19日
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宮本 和志(みやもと かずし、男性、1979年2月22日 - )は、日本プロレスラー福島県双葉郡出身。元キングスロード所属。

経歴

地元では札付きの不良として鳴らし、高校時代に子分を引き連れてジャイアント馬場の元へ面会に行ったものの、態度をたしなめられ、心を入れ替えてトレーニングに励むようになった。

学生時代は相撲を、プロレスラーになる前はアームレスリングおよびボディビルを行っていた。相撲部では主将を務め福島県100kg未満級で2年連続優勝、アームレスリングでは全日本ジュニア選手権優勝、無差別級「南波杯」でベスト4入り、肉体改造のために始めたボディビルでは全日本クラス選手権で準優勝を果たした。

1999年にジャイアント馬場亡き後、同期のKENTAと共に練習生として入門するが、練習の辛さで逃げ出してしまう。

2001年に全日本プロレス主力選手大量離脱後に初の入門者として再入門する。

2001年8月19日、後楽園ホール興行での対馳浩戦でデビュー。

2003年には本間朋晃タッグチーム、ターメリック・ストームを結成。

2003年12月9日、U-STYLEのリングで越後隆に勝利。

2004年5月にターメリックストームを解散し、無期限のアメリカ海外修行に出された。アメリカでは、ギミックザ・グレート・ムタの息子という設定の「ザ・グレート・カズシ」に扮して各インディ団体を転戦した。海外遠征中にはAPWテレビジョン王座、HIWヘビー級王座、TWEテキサスヘビー級王座の3つのベルトを獲得。

2005年7月には一時帰国並びに全日本プロレスの興行に参戦。上記の王座を合わせて「三冠王者」として注目される。凱旋試合の雷陣明戦では海外で開発したというテキサスシリーズのひとつ、テキサスバスターで5分足らずで勝利。試合後、師匠の川田利明のハッスルでの姿を痛烈に批判、最終戦で一騎打ちが実現。 その後アメリカに戻り、同年10月5日にはWWERAWダーク・マッチへ出場も果たした。また、RCW王座決定トーナメントで優勝し自身4つ目のベルトRCW王座を獲得。

2005年11月に全日本プロレスを退団してキングスロードに移籍。同団体のエースとなった。

キングスロード旗揚げ戦で天龍源一郎と対戦。大健闘するも最後は天龍の53歳で敗れた。

以後は新日本プロレスZERO1-MAXにスポット参戦。

2007年、突如大阪プロレスにてGAINA率いるバッドフォースの刺客カズシとして参戦。バッドフォースのキャラのままUWAI STATIONにも参戦。マスクド・グランシャリオと対戦し引き分け、月1ペースで自主興行を続けザ・グレート・サスケとも対戦する。その際グレート・カズシのキャラを復活。

2008年5月にプロレスリング・ノアのSEM大会にて太田一平平柳玄藩とシングルで対戦しいずれも勝利。

2008年5月17日、ディファ有明にて丸藤正道とシングルで対戦。コブラクラッチ式三角絞めで敗れた。

2011年3月、およそ5年半ぶりに、古巣・全日本プロレスへ参戦した。

得意技

ショートレンジ式ラリアット
ターメリックストームに在籍していた時の名前は「ターメリックボンバー」。
垂直落下式ブレーンバスター
ムーンサルトプレス
パワーボム
スワントーンボム
若手時代のフィニッシュ。ヘビー級に転向してから使用していない。
テキサスシリーズ
海外遠征中に開発。様々なパターンがある。現在は使用していない。
川田利明三沢光晴の代名詞となっている技を好んで使う。

獲得王座

  • TWEテキサス・ヘビー級王座
  • APW・TV王座
  • HIWヘビー級王座
  • RCWヘビー級王座

関連項目

外部リンク