国府町 (鳥取県)
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こくふちょう 国府町 | |||||
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廃止日 | 2004年(平成16年)11月1日[1] | ||||
廃止理由 |
編入合併 国府町、福部村、河原町、用瀬町、佐治村、気高町、鹿野町、青谷町 → 鳥取市[1] | ||||
現在の自治体 | 鳥取市[1] | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中国地方(山陰地方) | ||||
都道府県 | 鳥取県 | ||||
郡 | 岩美郡 | ||||
市町村コード | 31301-7 | ||||
面積 | 93.40 km2 | ||||
総人口 |
8,607人 (推計人口、2004年5月1日) | ||||
隣接自治体 |
鳥取県:鳥取市、福部村、岩美町、 郡家町、若桜町 兵庫県:温泉町 | ||||
国府町役場 | |||||
所在地 |
〒680-0197 鳥取県岩美郡国府町町屋305-1 | ||||
外部リンク | 国府町(Internet Archive)[2] | ||||
座標 | 北緯35度28分40秒 東経134度16分21秒 / 北緯35.4778度 東経134.2726度座標: 北緯35度28分40秒 東経134度16分21秒 / 北緯35.4778度 東経134.2726度 | ||||
特記事項 | 旧町役場は2013年1月3日まで鳥取市役所国府町総合支所として使用されていた | ||||
ウィキプロジェクト |
国府町(こくふちょう)は、鳥取県の東部にあった町である。岩美郡に属した。
2004年(平成16年)11月1日に鳥取市に編入された[1]。かつての町域は鳥取市国府町となっている。
地理
[編集]鳥取県の東部に位置し、兵庫県と接していた。
隣接していた自治体
[編集]歴史
[編集]天平時代に因幡国の国庁が置かれて、政治と経済の中心地として栄えた歴史を持つ。
1950年代から鳥取市への編入合併勧告(昭和の大合併)が発令されたが合併を拒み、1958年宇倍野村と大成村が合併して誕生した。ベッドタウン化などから1980年代にも同様のことがあったが、合併には至らなかった。しかし、平成の大合併により2004年(平成16年)11月1日に鳥取市と合併した[1]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により、国府村・法美村・御陵村(後の宇倍野村)、登儀村・上舟村・大茅村(後の大成村)の各村が発足。
- 1957年(昭和32年)1月1日 - 宇倍野村・大成村が合併して国府町が発足。
- 1984年(昭和59年)4月1日 - 奥谷(全域)と宮下(一部)が奥谷1〜3丁目・稲葉丘1〜3丁目・分上1〜4丁目・新町1〜2丁目・新通り1〜4丁目となる[3][4]。
- 2004年(平成16年)11月1日 - 鳥取市に編入[1]。同日国府町廃止。
行政
[編集]歴代町長
[編集]氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
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谷口鹿蔵 | 1957年(昭和32年)1月1日 | 1957年(昭和32年)1月19日 | 前宇倍野村助役 町長職務代理者 |
田邉健太郎 | 1957年(昭和32年)1月20日 | 1961年(昭和36年)1月19日 | 元宇倍野村長 |
桒原英雄 | 1961年(昭和36年)1月20日 | 1965年(昭和40年)1月19日 | 元宇倍野村長 |
田邉健太郎 | 1965年(昭和40年)1月20日 | 1969年(昭和44年)1月19日 | |
澤田寿雄 | 1969年(昭和44年)1月20日 | 1971年(昭和46年)11月15日 | |
井上正幸 | 1971年(昭和46年)12月23日 | 1979年(昭和54年)12月21日 | |
中島知義 | 1979年(昭和54年)12月22日 | 1987年(昭和62年)12月21日 | |
木村肇 | 1987年(昭和62年)12月22日 | 2004年(平成16年)10月31日 | |
参考文献 - [3] |
姉妹都市
[編集]教育
[編集]町の廃止時点では高等学校が存在しない。
- 中学校
- 国府町立国府中学校(現・鳥取市立国府中学校)
- 小学校
- 国府町立国府東小学校(現・鳥取市立国府東小学校)
- 国府町立宮ノ下小学校(現・鳥取市立宮ノ下小学校)
- 特別支援学校
交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 県道
名所・旧跡
[編集]国府町は早くから開けた地域で、因幡国府が置かれたこともあり、重要な遺跡が多い。
- 宇倍神社:武内宿禰を祀る因幡一の宮。
- 亀金丘古墳:宇倍神社境内にある直径14メートルの円墳。
- 新井の石舟古墳:二位の尼の墓と伝えられる石室。市指定史跡。
- 伊福吉部徳足比売墓跡:藤原京の文武天皇に仕えた伊福吉部徳足比売(いふきべとこたりひめ・いふくべとこたりひめ)の火葬墓跡。国の史跡。
- 梶山古墳:古墳時代終末期の古墳で、1978年に中国地方で最初の彩色壁画が発見された。精巧な切石で作られ、方形壇をもつ変型八角形墳。国の史跡。
- 岡益の石堂:この地に伝わる平家伝説にまつわる安徳天皇御陵参考地。建立年代や建立目的が不明な謎を秘めた遺跡で、エンタシスの石柱などが残る。
- 因幡国庁跡:天平宝字3年(759年)正月に、因幡国司の大伴家持により万葉集の最後を飾る『新しき年の始の初春の 今日降る雪のいや重け吉事』が詠まれた。国の史跡。
- 因幡万葉歴史館
- 万葉の館
- 鳥取藩主池田家墓所
- 因幡三山
- 雨滝 - 日本の滝百選
- 志賀直哉来訪記念碑:1955年(昭和30年)に文豪・志賀直哉が長通寺を訪れ、岡益の石堂や因幡三山の景色を絶賛し、その感想を『妙』の一字として揮毫した。長通寺の境内に、この時の来訪記念碑がある。
- 山崎城
人物
[編集]- 名誉町民[3]
- 第1号:木村安蔵(因伯時報・鳥取電灯創設者)
- 第2号:山本徳次郎(因幡の傘踊り創始者)
- 第3号:川上貞夫(洋画家、郷土史学者)
- 第4号:野津英顕(医師、鳥取県議会議長)
- 第5号:林田万喜子(婦人会創設者)
- 第6号:野村愛正(小説家、脚本家)
- 第7号:岡田美子(小説家、劇作家)
- 第8号:山崎秀子(看護師、フローレンス・ナイチンゲール記章受賞者)
- 第9号:森納(医師、郷土史研究家)