和泉 (防護巡洋艦)

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艦歴
購入 1894年11月25日
起工 1881年4月5日
進水 1883年6月16日
竣工 1884年7月15日
編入 1895年1月8日
除籍 1912年4月1日
その後 1913年1月15日 売却解体
性能諸元
排水量 常備:2,950トン
全長 82.2m
全幅 12.8m
吃水 5.6m
機関 二軸レシプロ蒸気機関、ベルヴィール石炭専焼缶4基
5,500馬力
燃料 石炭600トン
最大速 18.0ノット
兵員 300名
兵装 30口径25.4cm単装砲2基
(1902年以降は安式15.2cm単装速射砲2基)
40口径15.2cm単装砲6基
5.7cm砲2基
40mm砲5基
マシンガン2基
35.6cm(後に45.7cm)水上魚雷発射管3門
装甲 甲板水平部:12mm
甲板傾斜部:25mm

和泉(いずみ)は、日本海軍防護巡洋艦。艦名は旧国名和泉国」にちなんで名づけられた。元はチリ海軍所属、世界初の防護巡洋艦[要出典]エスメラルダ」(スペイン語: Esmeralda)。「エスメ」ラルダと「和泉」の音の類似に基づく命名。

艦歴

1881年、イギリスニューキャッスルアームストロング社のエルジック[1]造船所で起工、1884年に竣工した。日清戦争に伴う戦力増強のため、日本海軍が1894年に購入した。

1895年1月8日、艦籍に編入され「和泉」と命名、2月5日横須賀に到着し、金州警備に従事した。

1898年3月から翌年にかけて、横須賀造船廠で主罐を換装した。

1898年3月21日、三等巡洋艦に類別。義和団の乱では厦門警備に従事した。

1901年から翌年にかけて横須賀造船廠で主砲の25.4cm単装砲2基を安(アームストロング)式15.2cm単装速射砲2基に換装した。また魚雷を35.6cmから45.7cmに換装した。

日露戦争に際しては、旅順攻略作戦対馬海峡警備、日本海海戦樺太作戦等に参加した。日本海海戦では、(1905年5月27日の)午前6時過ぎに仮装巡洋艦信濃丸からバルチック艦隊への触接任務を引き継いだ。

1912年4月1日に除籍され、翌年1月13日に売却、1月15日に引き渡され長崎で解体された。

艦長

エルジック・クルーザー

本艦はいわゆるエルジック・クルーザーの原点である。これはエスメラルダがアームストロング社のエルジック造船所で建造されたことに由来する呼称だが、本艦と同形式の設計で造られた防護巡洋艦は、他の造船所で建造されていてもエルジック・クルーザーいう俗称で呼ばれる。

日本のエルジック・クルーザー

脚注

  1. ^ Elswick。英語読みならエルジック、米語読みならエルスウィック。

参考資料

関連項目