敬愛短期大学
千葉敬愛短期大学 | |
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大学設置 | 1950年 |
創立 | 1921年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人千葉敬愛学園 |
本部所在地 |
千葉県佐倉市山王1-9 北緯35度41分5.56秒 東経140度12分29秒 / 北緯35.6848778度 東経140.20806度座標: 北緯35度41分5.56秒 東経140度12分29秒 / 北緯35.6848778度 東経140.20806度 |
学部 | 初等教育科 |
ウェブサイト | http://www.chibakeiai.ac.jp/ |
千葉敬愛短期大学(ちばけいあいたんきだいがく、英語: Chiba Keiai Junior College)は、千葉県佐倉市山王1-9に本部を置く日本の私立大学。1921年創立、1950年大学設置。大学の略称は敬愛短大。
概観
大学全体
建学の精神(校訓・理念・学是)
- 千葉敬愛短期大学における建学の精神は「敬天愛人」となっている。
教育および研究
- 千葉敬愛短期大学は、児童教育に携わるエキスパート養成に力をいれている。
学風および特色
- 千葉敬愛短期大学は全国の短大では少数の小学校教員養成課程があり、その採用試験の対策にも力をいれている。
- 短大独自の学習プログラム(取得免許・資格別クラスの編成、少人数制の授業、実践力作り、「読み、書き、パソコン」教育の重視)がある。
- 「敬愛の日」と称した記念日がある。
- 2006年度、財団法人短期大学基準協会の第三者評価より「適格」認定を受ける。
沿革
- 1921年 - 八日市場女学校が創設。
- 1926年 - 財団法人関東中学校が創立。
- 1947年 - 千葉敬愛女子専門学校が開校。
- 1950年 - 学制改革に伴い、千葉敬愛短期大学が開学。
- 1951年 - 母体を学校法人関東学園に組織変更。
- 1952年 - 法経科II部増設
- 1955年 - 教育科を初等教育科に改称。
- 1959年 - 初等教育科のキャンパスを千葉市穴川に移転。
- 1962年 - 初等教育科にⅡ部が設置。
- 1966年 - 母体を学校法人千葉敬愛学園に組織変更。
- 1987年 - 初等教育科を現在地である佐倉市に移転。
- 1990年 - 国際教養科が増設。
基礎データ
所在地
- 千葉県佐倉市山王1-9
交通アクセス
教育および研究
組織
学科
- 初等教育科
学科の変遷
- 初等教育科
- Ⅰ部:現在の初等教育科にあたる。
- Ⅱ部:募集は1985年度まで
- 法経科Ⅱ部:募集は1965年度まで、1969年廃止。千葉敬愛経済大学に改組されたため廃止[1]。
- 国際教養科:募集は1996年度まで。翌年度より敬愛大学に改組される。
専攻科
- なし
別科
- なし
取得資格について
附属機関
- 附属研究所
- メディアセンター
学生生活
部活動・クラブ活動・サークル活動
学園祭
- 千葉敬愛短期大学の学園祭は「敬愛フェスティバル」とよばれ、毎年11月に敬愛大学との合同で行われている。
スポーツ
- バスケットボール部が全国短期大学体育大会の常連となっている。
大学関係者と組織
大学関係者組織
- * 千葉敬愛短期大学校友会組織がある。
大学関係者一覧
大学関係者
- 長戸路正司:初代学長
- 長戸路雄厚:現学長
施設
キャンパス
- 1号棟
- 2号棟
- 3号棟
- 学生食堂棟
- 講義室・研究棟
- 学生会館
- 学生ホール
- メディアセンターおよび特別教室棟
- 体育館
- ゴルフ練習場
- グラウンド
- テニスコート
対外関係
姉妹校
系列校
社会との関わり
- 公開講座がある。
卒業後の進路について
就職について
- 初等教育科
- 法経科Ⅱ部:
- 国際教養科:一般企業への就職者が多かったものとみられる。
編入学・進学実績
附属学校
- 千葉敬愛短期大学附属幼稚園
- かつては千葉敬愛短期大学附属保健体育教員養成所も併設されていた(1973年 廃止)
関連項目
公式サイト
参考文献
- 『全国学校総覧』
- 『日本の私立短期大学』(日本私立短期大学協会発行:1980年)
- 『進学年鑑』(『私大コース』シリーズ別冊)
- 『全国短期大学高等専門学校一覧』(文部省高等教育局技術教育課監修)
- 『短期大学教育』第49号(日本私立短期大学協会発行:1992年)
- 『短大蛍雪』(全国短大&専修・各種学校受験年鑑シリーズ。旺文社)
- 『全国短期大学受験要覧』(廣潤社)
- 『全国短期大学案内』(教学社)
- 『全国短期大学受験案内』(晶文社)
- 『全国短期大学案内』(梧桐書院)
- 『短大蛍雪』(2000年5月臨時増刊。旺文社)
- 『千葉敬愛短期大学』:入学案内小冊子
脚注
- ^ 最終募集年度における在学生総数は133人(うち女子3人)となっていた。
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