十勝東和駅

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十勝東和駅
とかちとうわ
Tokachi-Tōwa
忠類 (4.4 km)
(6.2 km) 大樹
所在地 北海道広尾郡大樹町字大樹
北緯42度31分56.1秒 東経143度16分16.2秒 / 北緯42.532250度 東経143.271167度 / 42.532250; 143.271167座標: 北緯42度31分56.1秒 東経143度16分16.2秒 / 北緯42.532250度 東経143.271167度 / 42.532250; 143.271167
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 広尾線
キロ程 54.4 km(帯広起点)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1960年昭和35年)4月15日[1]
廃止年月日 1987年昭和62年)2月2日[1]
備考 広尾線廃線に伴い廃駅
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1977年の十勝東和駅と周囲約500m範囲。下が広尾方面。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

十勝東和駅(とかちとうわえき)は、北海道十勝支庁広尾郡大樹町字大樹にかつて存在した、日本国有鉄道(国鉄)広尾線廃駅)である。事務管理コードは▲111510[2]

歴史[編集]

昭和30年代当時、道路の整備がまだ不十分であり、自家用車も普及していなかったことから、住民の不便を解消するために開設された[3]

駅名の由来[編集]

当駅が所在した地の近辺の地名(東和)に[3]旧国名の「十勝」を冠した[4]

もともと当地付近(東和のほか、現在の萠和・上萠和・平和および現在の幕別町忠類地区の一部)は上当縁(かみとうべり)と呼ばれていたが、あまりにも広すぎるために、1933年(昭和8年)と1943年(昭和18年)に一部を分割し現在の行政区に近い形となっている。東和地区はその南西に位置している[3]

ただし、集落名の由来は明らかでないとされている[4]

駅構造[編集]

廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の南東側(広尾方面に向かって左手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[7]

開業時からの無人駅で、駅舎及び待合所は存在しなかった[7]

利用状況[編集]

開駅当時の利用は、小学生12名、中学生6名、高校生3名、一般人20名と記録され、1日平均90名程度の乗降があった[3]。しかし、その後の道路整備・自家用車の普及により、『大樹町史』が発刊された1969年(昭和44年)頃には、1日50-60名程度の利用に低迷[3]、1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は4人[7]

駅周辺[編集]

駅跡[編集]

駅の遺構は現在何も残っておらず、駅跡地は畑になっている。

隣の駅[編集]

日本国有鉄道
広尾線
忠類駅 - 十勝東和駅 - 大樹駅

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、890頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、236頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ a b c d e f g 大樹町史編さん委員会 編『大樹町史』大樹町、1969年3月30日、467-468, 741頁。doi:10.11501/9539029https://dl.ndl.go.jp/pid/95390292023年6月4日閲覧 
  4. ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、46頁。ASIN B000J9RBUY 
  5. ^ 「日本国有鉄道公示第173号」『官報』、1960年4月13日。
  6. ^ 「通報 ●広尾線十勝東和駅及び新生駅の設置について(営業局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1960年4月13日、2面。
  7. ^ a b c 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)139ページより。
  8. ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)12ページより。

関連項目[編集]