加紫久利神社

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加紫久利神社
加紫久利神社
所在地 鹿児島県出水市下鯖町1272
位置 北緯32度7分10.7秒 東経130度20分56.0秒 / 北緯32.119639度 東経130.348889度 / 32.119639; 130.348889 (加紫久利神社)座標: 北緯32度7分10.7秒 東経130度20分56.0秒 / 北緯32.119639度 東経130.348889度 / 32.119639; 130.348889 (加紫久利神社)
主祭神 天照大神
多紀理毘売命
住吉三神
応神天皇
神功皇后
社格 式内小社・旧県社
創建 不明
本殿の様式 流造
例祭 3月4日・11月23日
主な神事 種子蒔祭・牛舞(3月4日)
地図
加紫久利神社の位置(鹿児島県内)
加紫久利神社
加紫久利神社
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加紫久利神社(かしくりじんじゃ)は鹿児島県出水市下鯖町にある神社

祭神

また、摂末社として稲荷神が祭られている。

沿革

創始年は全く不明であるが、仁寿元年(851年)に官社に列し[1]貞観2年(860年)3月に従五位下から従五位上に昇った[2]。『延喜式神名帳』では枚聞神社と共に名前が見え、薩摩国の神社として記載のあるただ2つの例の一つであった。そのため後世「薩摩二ノ宮」とも言われている(薩摩国は鎌倉時代以後、一宮が2社存在し二宮不詳)。

歴史のある神社であることから、その後この地の支配者となった島津氏の尊崇も厚かったが、明治10年(1877年)の西南戦争により全焼し、社殿はおろか歴代伝えた宝物すら失った。同13年(1880年)に社殿は再興されたものの、その後の新田開発などで境内を大きく浸食され、戦後には社殿崩壊の危機にまで瀕した。

社殿

現在の社殿は地元有志の寄付により昭和36年(1961年)に再建され、平成元年(1989年)に改築されたものである。

脚注

  1. ^ 文徳天皇実録』仁寿元年6月戊午(17日)条。
  2. ^ 日本三代実録』貞観2年3月20日条。