内山晃
内山晃 うちやま あきら | |
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生年月日 | 1954年3月3日(70歳) |
出生地 | 千葉県柏市 |
出身校 | 専修大学商学部 |
前職 |
内山労務管理事務所所長 流山青年会議所理事長 |
所属政党 |
(民主党→) 新党きづな |
称号 |
社会保険労務士 |
公式サイト | 衆議院議員 内山あきら |
選挙区 |
(千葉県第7区→) (比例南関東ブロック→) 千葉県第7区 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2003年11月10日 - 現職 |
初代 新党きづな代表 | |
在任期間 | 2011年12月28日 - 現職 |
内山 晃(うちやま あきら、1954年(昭和29年)3月3日 - )は、千葉県柏市出身の政治家。衆議院議員(3期)。新党きづな代表。元総務大臣政務官。
経歴
- 専修大学松戸高等学校、専修大学商学部卒業。社会保険労務士。
- 1987年内山労務管理事務所所長に就任。1991年流山青年会議所理事長に就任。1995年には年金ライフ社を設立した。
- 2000年6月25日の第42回衆議院議員総選挙に出馬するも落選。2003年11月9日の第43回衆議院議員総選挙では自民党の松本和巳を破り初当選を果たした。2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙では松本和巳に小選挙区で敗れたが比例復活で再選を果たした。
- 2006年、松本和巳が運動員の公職選挙法違反による連座制対象となった責任を取って辞職したことから4月に行われる千葉7区の補欠選挙への出馬を検討していたが、同じ千葉県連に所属していた永田寿康が国会質疑で取り上げた堀江メール問題で民主党に対する風当たりが強く、当選は困難であると判断し、出馬を見送った。この選挙では千葉県議の太田和美が民主党の公認候補として当選。これに伴い、同じ選挙区を地盤とする民主党の衆院議員が2人となった。
- 2007年5月30日の衆議院厚生労働委員会において桜田義孝厚生労働委員長を羽交い絞めにし委員長席から引き離した行為が、国会法に定める懲罰事犯に該当するとして衆議院懲罰委員会の審査に付され、6月19日の本会議で登院停止30日の懲罰処分が議決された(自民、公明両党の賛成多数による。民主党は採決時退席)。この件について内山は「国民の暮らしと生活を守るべく、国民の不利益につながる法案審議の強行採決に対して抗議として行った行動であり、国民の皆様に恥じることは一つもない」と発言した。また、「自分には懲罰が下りるが、強行採決をした自民党には天罰が下る」とコメントした。
- 第45回総選挙における太田和美との公認調整問題について、民主党代表の小沢一郎は2007年12月に次回総選挙でも前回と同様に内山を7区から擁立し、太田和美を他の選挙区へ転出させる方針を表明。翌2008年に太田が福島2区へ「国替え」することで決着が図られた。2009年8月30日に施行された第45回総選挙で小選挙区で当選し、3選を果たした。
- 2010年9月の菅第1次改造内閣で総務大臣政務官に就任。翌年1月の第2次改造内閣でも留任した。
- 2011年6月の菅内閣不信任決議(菅おろし)の採決では賛成する意向を示し総務政務官の辞表を提出。採決直前の代議士会で菅首相が早期退陣を表明して党内で不信任賛成する動きが弱くなったことで、採決では棄権をした。その後、民主党執行部によって3ヶ月党員資格停止となった。2011年6月27日の人事で、自民党から一本釣りされた浜田和幸参議院議員の総務政務官就任に伴い、総務政務官を辞任。
- 2011年12月28日、党が掲げる消費税増税に反旗を翻し、斎藤恭紀とともに離党届を提出した[1]。翌2012年1月4日、9名の衆議院議員で「新党きづな」を立ち上げ、代表に就任した。
関連項目
脚注
- ^ 民主3氏、反増税で離党へ時事ドットコム・2011年12月28日閲覧
外部リンク
- 衆議院議員 内山あきら(公式サイト)
- 民主党千葉県総支部連合会