伊場仙
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒106-0044 東京都中央区日本橋小舟町4番1号 |
設立 | 平成14年(2002年) |
業種 | 卸売業 |
法人番号 | 3010001080764 |
事業内容 | 団扇、扇子、和紙製品の製造販売 |
代表者 | 吉田誠男[1] |
資本金 | 1,000万円 |
従業員数 | 10名 |
外部リンク | http://www.ibasen.co.jp/ |
伊場仙(いばせん)は東京都中央区日本橋小舟町(旧日本橋堀江町一丁目)にある団扇、扇子を製造販売する企業。江戸時代は浮世絵の出版も手がけた。
沿革
江戸時代
創業者伊場屋勘左衛門の父は三河国岡崎城下で松平家の下土木工事に携わり、同家の浜松城移封に伴い遠江国敷知郡伊場村(静岡県浜松市中区)に移住した[2]。その後勘左衛門は徳川家康に従って江戸に入り創業したとされ、勘左衛門の生年天正18年(1590年)を創業年と公称するが、家康の江戸入りが天正18年(1590年)であり、実態は不明である。
創業当時は和紙、竹を扱っていたが、元禄期にはそれらを材料とした団扇を手がけるようになった[3]。江戸時代には堀江町は東堀留川に隣接しており、上方など他国から仕入れた物品を扱う業者が集積していた。江戸後期には団扇屋が軒を連ね、河岸地は団扇河岸と俗称された。
江戸後期には団扇に浮世絵を貼り付ける団扇絵が流行した。伊場屋は堀江町一丁目に仙三郎店(団扇堂、団仙堂)、二丁目に久兵衛店(錦政堂)が存在したが、歌川国芳、歌川豊国、歌川広重など歌川派の絵師を起用し、また一般的な一枚摺の浮世絵も多く手懸けた。
安政2年(1855年)の安政江戸地震では後継者が犠牲となった[4]。
明治以降
明治時代に浮世絵が衰退すると、13代目吉田直吉は暦表事業に進出し、準主力商品となった。
大正12年(1923年)の関東大震災で店舗は焼失したが、3日後には渋谷町の自宅で営業を再開した[5]。昭和20年(1945年)東京大空襲では自宅は被害を受けたが、店舗は被害を免れたため、以降職住分離を方針としている[6]。
14代目吉田誠男は昭和51年(1976年)家業に従事、昭和60年(1985年)取締役に就任した[2]。赤字となっていたカレンダー事業を廃止し、以降は本業の団扇、扇子に専念している[4]。
現在のビルは平成4年(1992年)竣工で、上階はオフィスビル、会議室として賃貸業を経営している[7]。
平成24年(2012年)5月7日にはビル1階に中央区のまちかど展示館事業による1階に伊場仙浮世絵ミュージアムが開館し、浮世絵や吉田家伝来の雛人形が展示されている[8]。
浮世絵
伊場仙
伊場久
脚注
- ^ 一部資料は吉田志津子とする。
- ^ a b 吉田誠男 氏|日本橋福徳塾
- ^ 経営者の四季 平成21年12月
- ^ a b 東京商工会議所中央支部「老舗企業の生きる知恵~時代を超える強さの源泉~」
- ^ 伊場仙の過去のお知らせ 2012年
- ^ 420年紡がれた歴史-浮世絵、団扇、扇子から時代を見守る
- ^ 伊場仙ビル
- ^ まちかど展示館認定施設一覧