九八式臼砲
九八式臼砲 | |
---|---|
硫黄島にて捕獲された九八式臼砲。内筒へ砲弾の一部が装着されているが、頭部が外れ、炸薬が抜かれている | |
種類 | 迫撃砲 |
原開発国 | 大日本帝国 |
運用史 | |
配備期間 | 1938-1945 |
配備先 | 大日本帝国陸軍 |
関連戦争・紛争 | 第二次世界大戦 |
諸元 | |
重量 | 1215kg |
| |
砲弾 | 300kg |
口径 | 330mm |
作動方式 | 電気斉発 |
砲尾 | 無し |
反動 | 緩衝装置なし |
仰角 | 45度一定 |
旋回角 | 8度 |
発射速度 | 毎分1発 |
初速 | 110m/s |
有効射程 | 300~1,100m |
最大射程 | 1,200m |
装填方式 | 手動 |
九八式臼砲(きゅうはちしききゅうほう)は、1930年代中後期に開発・採用された大日本帝国陸軍の臼砲(迫撃砲)。名称には「臼砲」を用いているが砲身は存在せず、一般的な火砲とは構造が全く異なっており、迫撃砲の一種であるスピガット・モーター(差込型迫撃砲)に該当する。弾体と発射台だけで砲身が無いことから別名「ム弾」や「無砲弾」とも呼称された。
帝国陸軍の秘密兵器として開発・採用され、太平洋戦争(大東亜戦争)では緒戦の南方作戦(シンガポール攻略戦・ブキテマ高地の戦い、フィリピン攻略戦・第二次バターン半島の戦い)で初陣を飾り、末期の硫黄島の戦い・沖縄戦・占守島の戦いでもその大火力と心理的効果をもって活躍した。
開発
1930年代、帝国陸軍の仮想敵国であるソ連労農赤軍の北満国境陣地(東寧方面)を突破する際、脅威となる堅牢なトーチカを破壊・埋没させるために考案・開発された兵器が本砲である。そのため開発は「技四甲」の名称で極秘裏に進められた。1938年(昭和13年)に九八式臼砲として制式制定された本砲は、満州にて対ソ戦を担当する関東軍に交付され編成された秘密部隊にて大威力奇襲兵器として研究が進められ、1939年(昭和14年)のノモンハン事件にはあえて実戦投入されなかった。
構造
九八式臼砲の構造および外観は特殊である。昭和11年4月に陸軍大臣名義で特許出願された書類の中では、無砲弾の概念は以下のように説明されている。
無砲弾は、火砲の砲身に相当する部分を有翼弾丸として射出する。また砲の弾丸に相当する部分は地上に設置しておき、発射すると衝撃を受け止めて残置される。方向と射距離の変換は有翼弾丸のほうに装置が設けられた。この方式では砲身と砲架が省略でき、また床板の中央付近に発射の衝撃を加える構造とすることで床板の軽量化を図っている。有翼弾丸は数個に分割して輸送した。このような構造とすることで、重量の大きな砲弾に機動力を与え、敵の予期しない場所からの奇襲砲撃を加えることを企図した[1]。
発射台の構造は極めて簡易な上に、軽量で人力運搬も可能であった。台は木製の台座を重ね、さらにその上部中央に鉄製ないし木製の発射筒が据え付けられた。発射台の設置には、45度の傾斜面を持つ穴を掘り、この穴の中へ発射台を据えた[2]。
九八式榴弾は重量約300kg・中径330mmと大型で細長い弾体をもっており、この弾体の下半分は空洞になっている。発射するには、榴弾の空洞部を発射筒の上に被せるように装填する。発射は電気斉発にて行われる。弾体は有翼弾であることからロケット弾(噴進弾)と誤解されることも多いが、上述の通り原理的には迫撃砲の一種である。
組み立て等射撃準備は1時間程で完成し、砲列布陣と発射準備は素早く行えるため、機動かつ効果的に運用できる奇襲・防衛兵器である。また、専用使用弾種である九八式榴弾は威力直径が250mであり、大火力兵器としての側面も持つ。破壊力は七年式三十糎榴弾砲と同程度とされた[3]。なお、木製の発射筒の命数は材質上3~5発であるため、予備発射筒4本が必要だった。
高低射界は45°一定であり(発射台を斜めに傾けた状態)、弾体装填部の高さおよび装薬薬室の容積を変化させて射距離は調整された。
運用
九八式臼砲は主に軍などに直轄(独立)する砲兵部隊(「軍砲兵」)である独立臼砲大隊で運用された。1個独立臼砲大隊は3個中隊と大隊段列から編成され、1個中隊は本砲4門と段列からなる(1個大隊で12門が定数)。
携行弾定数は1門あたり12発、また予備発射筒は4門であった。4門の予備発射筒と一緒に1門につき56人の段列によって輜重車車載・自動車車載・人力などで搬送された。
実戦
九八式臼砲は太平洋戦争緒戦のシンガポール攻略戦に初実戦投入され、ブキテマ高地の戦いで初陣を飾った。同戦闘では高地帯に構えるイギリス陸軍陣地に対し3門の本砲が攻撃を行い、その大威力を発揮するとともに大炸裂音と爆煙をもって英軍を圧倒し、また友軍地上部隊の士気高揚にも一役買うこととなった。本戦闘では九六式十五糎榴弾砲・九二式十糎加農・八九式十五糎加農といった重砲部隊(重榴弾砲・加農)が、ジョホール水道の渡河およびシンガポール島上陸に戸惑り前線進出が遅れていたなか、機動力を活かしての攻撃戦であった。引き続き、本砲はフィリピン攻略戦の第二次バターン半島の戦いに各種火砲とともに投入され大威力を発揮し勝利に貢献した。
大戦末期の硫黄島の戦いには独立臼砲第20大隊の12門が参戦した。硫黄島戦ではその地形上、重砲(海岸砲を除く)ではなく迫撃砲・臼砲・噴進砲が集中投入され、新型兵器である四式二十糎噴進砲などとともにその火力と隠匿性の高さから、栗林忠道陸軍大将の小笠原兵団(第109師団)の基幹として敢闘した。独臼20大は全弾を撃ち尽くした後、敵陣に挺身斬込を敢行し玉砕している[4]。
弾道性
九八式臼砲、九八式榴弾の弾道性は良好であった。昭和16年10月20日から24日の5日にかけ、伊良湖試験場で30発の実射試験が行われた。このデータから、陸軍技術本部は以下のような射撃試験結果をまとめた[5]。
装薬量〔kg〕 | 初速〔m/s〕 | 初速公算誤差〔m/s〕 | 射距離〔m〕 | 射距離公算誤差〔m〕 | 方向公算誤差〔m〕 |
0.500kg | 56.4m/s | 0.22m/s | 318.3m | 2.8m | 0.8m |
0.800kg | 76.3m/s | 0.30m/s | 572.2m | 5.0m | 0.9m |
1.100kg | 92.8m/s | 0.36m/s | 834.2m | 6.4m | 1.2m |
1.400kg | 106.7m/s | 0.41m/s | 1104.2m | 7.4m | 1.8m |
重量には全て点火薬50gを含む。また装薬には九番管状薬を使用した。砲撃には標準的な姿勢を用いた。
脚注
- ^ 陸軍技術本部『秘密特許出願の件(無砲弾)』15画像目
- ^ 『日本帝国陸軍』71頁
- ^ 『日本帝国陸軍』71頁
- ^ 『GROUND POWER AUG.2001(No090)』、デルタ出版、p.140
- ^ 陸軍省『98式臼砲98式榴弾(弾丸鋼ヲ用フルモノ)射表編纂試験要報』2-3画像目
参考文献
- 佐山二郎『大砲入門 陸軍兵器徹底研究 』、光人社、1999年。ISBN 4-7698-2245-6
- 『GROUND POWER AUG.2001(No090)』、デルタ出版、2001年
- 『太平洋戦争 日本帝国陸軍』成美堂出版、2000年。ISBN 4-415-09493-7
- 陸軍技術本部『秘密特許出願の件(無砲弾)』昭和13年5月から6月。アジア歴史資料センター C01004445500
- 陸軍省『98式臼砲98式榴弾(弾丸鋼ヲ用フルモノ)射表編纂試験要報』昭和16年。アジア歴史資料センター A03032164000
関連項目
- 四式二十糎噴進砲
- 四式四十糎噴進砲
- 試製四十一糎榴弾砲 - 同じく日ソ国境における大威力奇襲兵器として転用・使用
- 大日本帝国陸軍兵器一覧