中山義隆
中山 義隆 なかやま よしたか | |
---|---|
生年月日 | 1967年6月26日(56歳) |
出生地 | 沖縄県石垣市登野城 |
出身校 | 近畿大学商経学部経営学科卒業 |
所属政党 | 無所属 |
公式サイト | 中山義隆(なかやまよしたか) - オフィシャルサイト |
第18-19代 石垣市長 | |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2010年2月28日 - 現職 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2006年 - 2009年 |
中山 義隆(なかやま よしたか、1967年6月26日 - )は、日本の政治家。沖縄県石垣市長(2期)。元石垣市議会議員(1期)。
来歴
沖縄県石垣市登野城生まれ。沖縄県立八重山高等学校、近畿大学商経学部経営学科卒業。大学卒業後、野村證券に入社。1996年まで勤務した。
2004年、社団法人八重山青年会議所理事長に就任。2006年より日本青年会議所沖縄地区会長。同年9月、石垣市議会議員選挙に出馬し、初当選した。2009年11月、石垣市議を辞職。
2010年2月、自民党、公明党の推薦を受け、無所属で石垣市長選挙に出馬。16,421票を獲得し、社民党、日本共産党、民主党、沖縄社会大衆党が推薦し、5期目の当選を目指した大濵長照を大差で破って当選[1]。
2014年3月、自民党、公明党の推薦を受け、石垣市長選挙に再び出馬。15,903票を獲得し、返り咲きを目指した大濵を破って再選[2]。
人物
施政方針演説の剽窃疑惑
2010年4月9日に石垣市議会で初めて行った施政方針演説の内容が、神奈川県小田原市長の加藤憲一の所信表明などと酷似していることが指摘された。中山は、施政方針演説の文案は政策チームが作ったもので、同様の文があることは知らなかったとしながらも、責任は自分にあるとし、市民や加藤に謝罪した。なお、中山は施政方針演説について、「自分で全文を書き上げた」、「中山カラー100%」と発言していた[3]。
尖閣諸島への上陸を申請
固定資産税の調査のため尖閣諸島への上陸を政府に申請していたが、外務大臣の前原誠司(民主党)は否定的な見解を示し[4]、申請は受け入れられなかった。なお石垣市長による尖閣諸島上陸の申請は、中山に限らず歴代の市長が行ってきたが、中山は2011年6月10日、初めて文書による上陸許可を政府に要請している。この時の申請では、尖閣諸島戦時遭難事件の慰霊祭も上陸の目的の一つに挙げられた[5]。
脚注
- ^ 石垣市長選 中山氏が初当選 大浜氏の5選阻む - 琉球新報、2010年3月1日
- ^ 石垣市長選で与党系・中山氏再選 陸自配備に追い風 - 産経新聞、2014年3月2日
- ^ 中山石垣市長、施政方針丸写し 「責任私に」謝罪 - 琉球新報、2010年5月23日
- ^ “石垣市の尖閣上陸に否定的=前原外相” (日本語). 時事通信. (2010年11月12日) 2010年11月27日閲覧。
- ^ “石垣市長が「尖閣」上陸許可要請…慰霊祭で”. 読売新聞. (2011年6月10日) 2011年6月10日閲覧。
外部リンク
|
|