ルーカス・ラデベ
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名前 | ||||||
本名 | Lucas Valeriu Radebe | |||||
ラテン文字 | Lucas Radebe | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 南アフリカ共和国 | |||||
生年月日 | 1969年4月12日(55歳) | |||||
出身地 | ソウェト | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 74kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | CB | |||||
利き足 | 右足 | |||||
代表歴 | ||||||
1992-2003 | 南アフリカ共和国 | 70 | (2) | |||
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ルーカス・ラデベ(Lucas Radebe, 1969年4月12日 - )は南アフリカ共和国出身の元サッカー選手。ポジションは主にディフェンダー。
経歴
プロ入りまで
ラデベはヨハネスブルグ近郊のソウェトで11人兄妹の一人として生まれた。15歳のときにソウェトまで及んできたアパルトヘイトの波から逃れるために両親によってボプタツワナのバントゥースタンへ送られた。ここでラデベはゴールキーパーとしてサッカーを始め、自活し忙しい毎日を過ごした。
プロ入り後
1990年にミッドフィールダーとしてカイザー・チーフスFCに入団、黒人選手でありながらレギュラーの座を射止め活躍した。しかし、翌年の1991年に路上を歩いているところを銃撃され、幸い大事には至らなかったものの、動機については謎のままである。ラデベ本人は「僕が他のチームヘ移籍するのを妨げるためだったんだろう」と信じている。
前述の銃撃事件も影響し、1994年にフィル・マシンガと共にリーズ・ユナイテッドAFCへ移籍。移籍金は250,000ポンドと格安のものだった。
リーズでラデベはスタープレイヤーへ成長し、ファンからも「ザ・チーフ」の愛称で親しまれた。また、その統率力とアビリティーが認められ、1998-99シーズンにキャプテンに就任した。
キャプテンとしてラデベはリーズに大きく貢献した。フォーディナンド・ウッドゲート・キューウェル・スミス・ボウヤーなどなどの個性豊かな若手実力者を束ねてリーグでの躍進に貢献、1998-99シーズンは4位で終え、翌年のUEFAカップの出場権を獲得。1999-2000シーズンでは3位に食い込み、UEFAチャンピオンズリーグの出場権を獲得。2000-01シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではベスト4に進出する快挙を成し遂げるが、2000年に負った膝と足首の怪我で2年間まともにプレー出来ず、以降も怪我を繰り返し2005年に引退した。引退試合はリーズのホームスタジアムであるエランド・ロードで行われ、多くの選手たちが駆けつけた。
ラデベはリーズで3得点を上げているもののどれもカップ戦での得点である。ファーストゴールは1997-98シーズンFAカップでのオックスフォード・ユナイテッドFC戦においてで、2点目と3点目はUEFAカップ1999-2000で、それぞれパルチザン・ベオグラード戦とスパルタク・モスクワ戦においてである。
南アフリカ代表
ラデベの代表デビューは1992年7月7日のカメルーン戦で、4年後のアフリカネイションズカップ1996では優勝に貢献。1998 FIFAワールドカップではフィリップ・トルシエ監督、2002 FIFAワールドカップはカルロス・ケイロス監督の下でキャプテンとして出場を果たした。
エピソード
- リーズ在籍中にマンチェスター・ユナイテッドやACミランへ移籍する機会があったが、リーズへの愛情から残留を選んだ。彼の功績を称え、エランド・ロードにはラデベの名がついた入り口がある。
- ネルソン・マンデラとも親しく、マンデラがリーズを訪れた際にラデベに対し「彼は私のヒーローだ」とコメントしている。
- プロゴルファーのゲーリー・プレーヤーとも親交があり、しばしチャリティーゴルフを共に開催する。
- 2008年12月にジムで倒れ、心臓の治療を受けた。
所属クラブ
- カイザー・チーフスFC 1990-1994
- リーズ・ユナイテッドAFC 1994-2005
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