ミラージュボウル

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ミラージュボウル(Mirage Bowl)は、かつて開催されたNCAAカレッジフットボールの試合。三菱自動車がスポンサーとなって1977年から1985年まで日本東京で開催された。1976年にはパイオニアがスポンサーとなった日本初のカレッジフットボールの公式戦であるパイオニアボウルが開催された[1]。1986年からはスポンサーがコカ・コーラ社に変更されコカコーラボウルと名称変更された。

この試合はレギュラーシーズンの1試合であり、ポストシーズンのボウル・ゲームとはなっていない[2]

歴史

1977年の試合では、後に第22回スーパーボウルMVPを獲得するグランブリング州立大学のQBダグ・ウィリアムズがMVPに選ばれる活躍を見せて35-32でテンプル大学を破った[2]

1979年の試合では、ジミー・カーターアメリカ合衆国大統領がミラージュボウルは日米の友好関係を深めるものとして、お祝いのメッセージを寄せた[3]。この試合には渡辺貞夫日野皓正が出演した。

1980年のUCLAオレゴン州立大学の試合は、シーズン全敗のオレゴン州立大学をUCLAが終始圧倒、34-3で勝利した。

1981年のサンディエゴ州立大学空軍士官学校との試合は、QBマット・コフラー率いるサンディエゴ州立大が、前半30分のうち、20分58秒ボールをコントロールし、第2Qに2本のTDパスを成功させるなど、オフェンスが297ヤードを獲得し、16-0とリードしたが、後半は無得点、空軍士官学校がランプレーを中心に3TDをあげて21-16で勝利した[4]

1984年の陸軍士官学校モンタナ大学の試合で日本に初めてウェーブが紹介された。

1984年にモンタナ大学の一員として来日したマーティ・モーヒンウェグは後にデトロイト・ライオンズヘッドコーチ[5]フィラデルフィア・イーグルスオフェンスコーディネーターを務めている[6]

試合結果

イタリック体は引き分け

年月日 得点 得点 解説 中継アナウンサー
1977年12月11日 グランブリング州立大学 35 テンプル大学 32 金沢好夫 清水一郎
1978年12月10日 テンプル大学 28 ボストン・カレッジ 24 金沢好夫 清水一郎
1979年11月24日 ノートルダム大学 40 マイアミ大学 15 武田建後藤完夫 清水一郎
1980年11月30日 UCLA 34 オレゴン州立大学 3 後藤完夫 浅見源司郎
1981年11月28日 空軍士官学校 21 サンディエゴ州立大学 16 後藤完夫 浅見源司郎
1982年11月27日 クレムゾン大学 21 ウェイクフォレスト大学 17 後藤完夫 浅見源司郎
1983年11月26日 南メソジスト大学 34 ヒューストン大学 12 後藤完夫 浅見源司郎
1984年11月17日[5] 陸軍士官学校 45 モンタナ大学 31 後藤完夫 浅見源司郎
1985年11月30日 USC 20 オレゴン大学 6 後藤完夫・大橋巨泉(ゲスト) 吉田填一郎

脚注

  1. ^ 日本フットボール史”. タッチダウン社. 2010年2月4日閲覧。
  2. ^ a b Scott Allen (2011年12月12日). “The Last Time the Stanford Football Team Played in Asia”. ruleoftree.com. 2012年12月9日閲覧。
  3. ^ ミラージュボウルで友好を カーター大統領がメッセージ 読売新聞 1979年11月19日朝刊16ページ
  4. ^ 空軍士官学校が大逆襲 0-16一気にハネ返す 1981ミラージュボウル
  5. ^ a b 26 days until kickoff: AA’s picture-a-day countdown”. militarytimes.com (2012年8月6日). 2012年12月9日閲覧。
  6. ^ Eagles' Mornhinweg elected to Montana Hall of Fame”. daily.phanaticmag.com (2009年6月9日). 2012年12月9日閲覧。

関連項目

  • ゴダイゴ - テーマソングを歌っていた。
  • 三菱・ミラージュ - 1977年大会が翌年発売予定だった本車種のプレキャンペーンを兼ねており、ミラージュボウルの名称もこれに因む。