ゲイリー・ブルッカー
ゲイリー・ブルッカー Gary Brooker MBE | |
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ドイツ・ニュルンベルク公演(2018年) | |
基本情報 | |
生誕 | 1945年5月29日 |
出身地 | イングランド・ロンドン |
死没 | 2022年2月19日(76歳没)[1] |
ジャンル |
ロック アート・ロック プログレッシブ・ロック ピアノ・ロック バロック・ポップ |
職業 | ミュージシャン、シンガーソングライター、鍵盤奏者、音楽プロデューサー |
担当楽器 | ボーカル、ピアノ、キーボード、ハーモニカ |
活動期間 | 1962年 - 現在 |
レーベル |
クリサリス・レコード マーキュリー・レコード Gazza Records |
共同作業者 |
パラマウンツ プロコル・ハルム エリック・クラプトン リンゴ・スター ビル・ワイマン |
ゲイリー・ブルッカー(Gary Brooker、1945年5月29日 - 2022年2月19日[1])は、イングランド出身のミュージシャン、ロック歌手、鍵盤奏者、音楽プロデューサー。
ロックバンド「プロコル・ハルム」の主宰として知られる。2003年、大英帝国勲章を叙勲。
来歴
[編集]英国ロンドンで生まれ、1955年にエセックス州に移る[2]。1959年に中学校時代の仲間達と「パラマウンツ」というグループを結成。1962年頃から本格始動し、翌1963年にシングルデビューを果たす[2]。レイ・チャールズらに影響を受けR&B色の濃い楽曲を制作し、コースターズのカヴァー曲をヒットさせるが、1966年に解散。
その後、1967年に詩人のキース・リードと出会い、リードの作った詞にブルッカーが曲をつける方式で、ロック・バンド「プロコル・ハルム」を結成。ブルッカーが作曲、ピアノ、リード・ヴォーカルを担当したプロコル・ハルムのデビュー曲「青い影」は世界的大ヒットとなり[1]、1977年に解散するまで、多くの曲をリードと共作した。
バンド解散後はソロとして活動する傍ら、エリック・クラプトン・バンドのバンドマスターを務めたほか、ジョージ・ハリスンやリンゴ・スターといった元ビートルズのメンバーとも共演した。また、アラン・パーソンズ・プロジェクトにもリード・ヴォーカルとしてゲスト参加している。
1991年にプロコル・ハルムを再結成し、各国をツアーしていた。そのチャリティー活動が評価され、2003年、英国王室から大英帝国勲章(五等勲士、MBE)を授けられた[1]。また、1997年から1999年にかけて、リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドのツアーにも参加。「青い影」や「征服者」等を歌った。その頃には、ビル・ワイマンが率いるリズム・キングスにも名を連ねていた。
2022年2月19日、がんのため自宅にて死去。76歳没。死去はプロコル・ハルムの公式サイトで明らかにされた[1]。
ディスコグラフィ
[編集]ソロアルバム
- No More Fear of Flying(1979年)
- Lead Me to the Water(1982年)
- Echoes in the Night(1985年)
ライブアルバム
- Within Our House(1996年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e “プロコル・ハルムの中心人物、ゲイリー・ブルッカーが76歳で死去”. Rolling Stone Japan. (2022年2月23日) 2022年2月23日閲覧。
- ^ a b 'Within Our House', reissued on Repertoire Records