フェアウェイ (競走馬)
フェアウェイ | |
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欧字表記 | Fairway |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1925年4月15日 |
死没 | 1948年11月30日 |
父 | Phalaris |
母 | Scapa Flow |
母の父 | Chaucer |
生国 | イギリス |
生産者 | 第17代ダービー伯爵 |
馬主 | 第17代ダービー伯爵 |
調教師 | フランク・バタース |
競走成績 | |
生涯成績 | 15戦12勝 |
獲得賞金 | 42,722ポンド |
フェアウェイ(Fairway、1925年 - 1948年)はイギリスの競走馬、種牡馬。1920年代後半に活躍した。馬名フェアウェイは「航路」の意で、兄ファロスが灯台、母スカパフローが港名だったことに由来している。そのほかの兄弟に1000ギニーに優勝したフェアアイル(全妹)がいる。タイムフォームによる20世紀世界の名馬200選では35位に格付けされている。
経歴
競走馬時代
フェアウェイは祖父のポリメラスに似て、非常に胴長で神経質な馬であった。1927年5月に競走馬としてデビュー。デビュー戦では競走中にバランスを崩し6着に敗れたがその後7月にかけて3連勝した。同馬を晩成型と見ていたダービー伯爵の側近ジョージ・ラムトンの判断から、この年はそれ以上レースに出走することなくシーズンを終えた。この年ジョッキークラブが発表した2歳フリーハンデではハーミット、ブランドに並び、126ポンドという高い評価を得た。
翌1928年、当初は2000ギニーに出走するプランが立てられていたがレース前日になって口腔内に膿種があることが判明し、出走を断念。陣営は目標をダービーステークスに切り替えた。フェアウェイは5月に前哨戦のニューマーケットステークスを勝利し、翌6月のダービーステークスには本命で出走した。しかしコースに出て観客席を横切るパレードの最中、興奮した観客に取り囲まれ、馬体に触られ尻尾を引っ張られるなどしたフェアウェイは神経を高ぶらせて大量に発汗し、さらにスタートが遅延するアクシデントに見舞われてますます苛立ちを募らせた。レースではスタートで出遅れ、そのまま全く見せ場を作ることなく7着に敗れた。
この後しばらくフェアウェイはエプソムダービーのことを引きずり神経質になっていたが、バタース調教師の努力で少しずつ回復すると、7月のエクリプスステークスに挑んだ。このレースは名牝ブックロウなどが出走していたが、フェアウェイは2着馬に8馬身の着差をつけ優勝した。9月には最後のクラシックとなるセントレジャーステークスに出走。フランスから遠征して来たパリロイヤルを破って優勝し、最後のチャンスをものにしてクラシック優勝馬となった。その後10月にチャンピオンステークスに出走。アルゼンチン馬フォリエイションを下し優勝し、5戦4勝でこの年のシーズンを終えた。
翌1929年、4歳になったフェアウェイはさらに充実し、バーウェルステークス、ルース記念ステークス、プリンセスオブウェールズステークスと3連勝した。続くエクリプスステークスではロイヤルミンストレルに敗れたが、秋にはチャンピオンステークス連覇を果たし、ジョッキークラブカップにも3馬身差で勝った。ジョッキークラブカップに勝った直後、陣営はフェアウェイの長距離適性を計るためにバタースの管理馬でゴールドカップ優勝馬のボスワースと4000mにわたってマッチレースをさせた。その結果フェアウェイが勝利し、適性ありと判断した陣営は翌1930年のゴールドカップを目指し激しい調教を課したが、フェアウェイは途中で屈腱炎を発症し競走馬を引退した。
種牡馬時代
フェアウェイは1931年から種牡馬となり、ウッドランド牧場で供用された。ダービー伯爵のフェアウェイに対する期待は大きく、全兄ファロスをフランスに売却するほどであった。フェアウェイはその期待に違わず大きな成功を収め、初年度産駒が4歳になった1936年にイギリスのリーディングサイアーとなった。その後も毎年コンスタントにリーディングサイアーの上位を占め、1939、1943、1944年にリーディングサイアーとなった。
代表産駒は二冠馬ブルーピーター、フェアトライアルなど。産駒には2000ギニーおよび1000ギニーを優勝したものが5頭いる一方、ゴールドカップやグッドウッドカップなどの長距離レースで活躍したものは一頭もいない。なお、産駒には父に似て多汗な馬が多かった。
フェアウェイの産駒は種牡馬として世界中で成功を収め、イギリスでフェアトライアル、フランスでフェアコピー、アルゼンチンでフルセールがリーディングサイアーとなった。日本へはハロウェーが輸入され、リーディングサイアー上位の常連として活躍した。
1946年、フェアウェイは腰を麻痺させて種付けを中止した。麻痺は次第に下半身全体に拡大し、1948年に安楽死処分となった。
年度別競走成績
- 1927年(4戦3勝)
- シャンペンステークス、コヴェントリーステークス、ジュライステークス
- 1928年(5戦4勝)
- セントレジャーステークス、エクリプスステークス、チャンピオンステークス、ニューマーケットステークス
- 1929年(6戦5勝)
- チャンピオンステークス、ジョッキークラブカップ、プリンセスオブウェールズステークス、バーウェルステークス、ルース記念ステークス
主な産駒
- 1932年産
- ハイラン / Hairan(1934年デューハーストステークス、1935年サセックスステークス)
- フェアトライアル / Fair Trial(1935年クイーンアンステークス)
- 1933年産
- 1934年産
- フェアコピー / Fair Copy(1936年ミドルパークステークス)
- フルセイル / Full Sail(種牡馬、アルゼンチンリーディングサイアー2回)
- 1936年産
- ブルーピーター / Blue Peter(1939年2000ギニー、ダービーステークス、エクリプスステークス)
- 1939年産
- ワトリングストリート / Watling Street(1942年ダービーステークス)
- 1940年産
- 1941年産
- ガーデンパス / Garden Path(1944年2000ギニー)
- ハニーウェイ / Honeyway(1945年ジュライカップ、1946年チャンピオンステークス)
- 1942年産
- ピカデリー / Piccadilly(1945年アイリッシュダービー)
血統
フェアウェイは名馬ファロスの3歳下の弟で、第17代ダービー伯爵らしくセントサイモンの3×4というインブリードが施されている。だが、血統的には兄とまったく同じにもかかわらず、兄と父に似ず長い脚と胴を持つひょろりとした体格で、顔以外はまったく似ていないといわれた。実際にこの兄弟のタイプはかなり違っており、ファロスは短距離を得意としたが、フェアウェイは長距離を得意としていた。
血統表
フェアウェイの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | フェアウェイ系<ファラリス系[2]<サイリーン系[3]<ベンドア系[3]<ストックウェル系[3]<エクリプス系[4]<ダーレーアラビアン系[4] |
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父 Phalaris 1913 黒鹿毛 |
父の父 Polymelus1902 鹿毛 |
Cyllene | Bona Vista | |
Arcadia | ||||
Maid Marian | Hampton | |||
Quiver | ||||
父の母 Bromus1905 鹿毛 |
Sainfoin | Springfield | ||
Sanda | ||||
Cheery | St.Simon | |||
Sunrise | ||||
母 Scapa Flow 1914 栗毛 |
Chaucer 1900 黒鹿毛 |
St.Simon | Galopin | |
St.Angela | ||||
Canterbury Pilgrim | Tristan | |||
Pilgrimage | ||||
母の母 Anchora1905 栗毛 |
Love Wisely | Wisdom | ||
Lovelorn | ||||
Eryholme | Hazlehatch | |||
Ayrsmoss | ||||
母系(F-No.) | Sedbury Royal Mare(FN:13-e) | [§ 2] | ||
5代内の近親交配 | St. Simon 3×4、Springfield 4×5、Hermit 5×5 | [§ 3] | ||
出典 |
脚注
参考文献
- 原田俊治『世界の名馬』 サラブレッド血統センター、1970年