ピエール・トルドー

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ピエール・E・トルドー
Pierre E. Trudeau
1980年撮影
生年月日 1919年10月18日
出生地 カナダの旗 カナダ ケベック州 モントリオール
没年月日 (2000-09-28) 2000年9月28日(80歳没)
死没地 カナダの旗 カナダ ケベック州 モントリオール
出身校 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス博士課程中退
所属政党 自由党
配偶者 マーガレット・トルドー (1971 - 1984)
親族 ジャスティン・トルドー(長男 第29代首相)
サイン

カナダの旗 第20代首相
在任期間 1968年4月20日 - 1979年6月3日
カナダ総督 ローランド・ミッチェナー英語版
ジュール・レジェ英語版
エドワード・シュライヤー英語版

カナダの旗 第22代首相
在任期間 1980年3月3日 - 1984年6月30日
カナダ総督 エドワード・シュライヤー
ジャンヌ・ソーヴ英語版

内閣 レスター・ボールズ・ピアソン内閣
在任期間 1967年4月4日 - 1968年7月5日

カナダの旗 庶民院議員
選挙区 モンロイヤル
在任期間 1965年11月8日 - 1984年6月30日

その他の職歴
自由党党首
1968年4月6日 - 1984年6月16日
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ピエール・エリオット・トルドーPierre Elliott Trudeau、本名:Joseph Philippe Pierre Yves Elliott Trudeau、1919年10月18日 - 2000年9月28日)は、カナダ政治家。第20・22代首相を務めた。カナダ史上初めての20世紀生まれの首相である。国家としてのアイデンティティーを明確にし、多文化主義や途上国援助などでカナダの再構築に大きな貢献をした。所属政党は自由党(Liberal)。

来歴

ケベック州モントリオール出身のフランス系。モントリオール大学で学び、ハーバード大学大学院に進み、マルクス主義に強い興味を持っていたトルドーは共産主義キリスト教に関する論文を書いた[1]。その後、パリ政治学院を経て、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスではハロルド・ラスキに師事する(中退)[2]

1970年ケベック解放戦線ケベック独立を要求しイギリス貿易省クロス長官を誘拐し、ケベック州労働大臣ピエール・ラポルテを殺害した「オクトーバー・クライシス(十月危機)」の際、戒厳令を引き強硬手段で解決にあたったことは、今でも賛否両論となっているが、彼が内政の運営がきわめて難しい多文化国家であるカナダ社会において、ケベック州生まれでフランス系カナダ人であるが、ケベック独立に反対し、カナダをひとつの国としてまとめようと強力なリーダーシップをとっていたことの一例である。1971年には「多文化主義宣言」を行い、公用語を英仏二カ国語とするなど、現在の多文化国家カナダの原型を作り上げた。また、経済政策ではペトロ・カナダを設立して石油産業の国有化を図った。1982年には新憲法が制定され、イギリスとの関係を明確にした。その後さらに、対米依存主義脱却を目指した。

なお、ソビエト連邦の駐カナダ大使として着任してきたアレクサンドル・ヤコブレフとは深い交友関係を築き、トルドーは彼にちなんで自分の次男にアレクサンドル (Alexandre) と名付け、さらにロシア語風のサーシャという愛称で呼ぶほどだった。

2004年モントリオールの空港が、彼にちなみモントリオール・トルドー国際空港と改名した。

家族

参照

  1. ^ English, John (2006). Citizen of the World: The Life of Pierre Elliott Trudeau Volume One: 1919–1968. Toronto: Knopf Canada. ISBN 978-0-676-97521-5. pp. 145–146.
  2. ^ English, John (2006). Citizen of the World: The Life of Pierre Elliott Trudeau Volume One: 1919–1968, p. 166. Toronto: Knopf Canada. ISBN 978-0-676-97521-5. pp.166.

外部リンク


公職
先代
レスター・ボールズ・ピアソン
ジョー・クラーク
カナダの旗 首相
第20代:1968年4月20日 - 1979年6月3日
第22代:1980年3月3日 - 1984年6月30日
次代
ジョー・クラーク
ジョン・ターナー
先代
Louis Cardin
カナダの旗法務大臣
第30代:1967年4月4日 - 1968年7月5日
次代
ジョン・ターナー
党職
先代
レスター・ボールズ・ピアソン
カナダ自由党党首
第7代:1968年4月6日 - 1984年6月16日
次代
ジョン・ターナー