ナコス
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
133-0056 東京都江戸川区南小岩7丁目22番3号[1] |
設立 | 1938年(昭和13年)1月[2](創業は1917年(大正6年)[2]) |
業種 | 小売業 |
事業内容 | スーパーマーケット、健康ランド、ホテルなどの運営 |
代表者 | 柳生富士夫 |
資本金 | 2億9,500万円 |
売上高 | 161億円312万円(1999年2月期) |
従業員数 | 1,200名 |
決算期 | 2月末日 |
株式会社ナコスはかつて存在した日本の小売業者である。 東京の江戸川区を中心にスーパーマーケットを展開していたほか[1]、ホテルや健康ランドなどの運営も行っていた。
概要
ナコスは1917年(大正6年)に長崎屋呉服店を創業したのが始まりである[1]。 1938年(昭和13年)1月に株式会社長崎屋呉服店を設立した[1]。
1962年(昭和3年)に食料品と日用雑貨のセルフサービス方式での販売を導入し、スーパーマーケットを展開を開始した[1]。
1964年(昭和39年)に株式会社小岩長崎屋に商号を変更した[1]。
1981年(昭和56年)に株式会社ナコスに商号を変更した[1]。
江戸川区を中心にスーパーマーケットを展開し、区内では高シェアを占めた[1]。
最盛期の1984年2月期には約283億円の売上があったが、その後は他社との競合激化で売上が伸び悩み、バブル期には居酒屋や健康ランド(湯宴ランド)、ホテル経営に進出して経営の多角化を図った[要出典]。
しかし、バブル崩壊後の消費低迷に加え、先述の多角化が災いして経営が悪化、1998年3月にはメインバンクであった東京相和銀行を相手に第三者割当増資を実施。だが、1999年6月に東京相和銀行が破綻したため事業の継続が困難となり、2000年2月17日に東京地方裁判所へ自己破産を申請し、倒産した[3]。負債総額は約90億円だった。ナコス閉店後の跡地の多くにOlympicが開店し、下篠崎店・西一之江店・行徳東店・馬橋店の跡地では現在もOlympicとして存続。
なお、準大手スーパーの長崎屋とは全く無関係であった[要出典]。
店舗
- 上篠崎店(東京都江戸川区上篠崎2-7-20[4])
- 下篠崎店(東京都江戸川区篠崎町4-14-8[4])
- 鹿骨店(東京都江戸川区鹿骨4-25-7[4])
- 京成小岩店(東京都江戸川区北小岩2-7-2[4])
- 小松川店(東京都江戸川区中央3-3[4])
- 西一之江店(東京都江戸川区西一之江3-34-5[4])
その他
脚注
参考文献
- 東京商工リサーチ TSR情報 2000年2月24日号 9面