デリオ・ロッシ
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名前 | ||||||
カタカナ | デリオ・ロッシ | |||||
ラテン文字 | Delio Rossi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1960年11月26日(63歳) | |||||
出身地 | リミニ | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
デリオ・ロッシ(Delio Rossi、1960年11月26日 - )は、イタリア・リミニ出身のサッカー指導者、元サッカー選手。
経歴
選手時代
1978年にプロデビュー。現役生活を通じてセリエB以下のカテゴリでプレーし、その大半をフォッジャで過ごした。1989年に29歳で現役を引退した。
指導者時代
- キャリア初期
アマチュアクラブやフォッジャのユースチームの指導者を経て、1993年にサレルニターナの監督に就任。同クラブをセリエBに昇格させる。その後、他のクラブで指揮を執った後にサレルニターナに戻り、1997年にはクラブ史上二度目となるセリエA昇格を果たした。翌1998-99シーズンも引き続き指揮をとったが、降格圏を抜け出せないままシーズン途中で解任された。
2002年より3シーズン指揮したレッチェでは若手の育成に手腕を発揮し、セリエAへの返り咲きと残留を達成。2004-05シーズン途中にはアタランタの監督に就任し、最下位に低迷していたチームを再生させるが、降格を回避するには至らなかった。
- ラツィオ
2005年、アタランタでの功績が認められ財政難に苦しむラツィオの監督に就任。ゴラン・パンデフとトンマーゾ・ロッキの2トップ、ファビオ・リヴェラーニとステファノ・マウリの中盤を中心としたプレッシングとショートカウンターを主軸とする効率良いサッカーを展開した。2005-06シーズンは6位[1]、続く2006-07シーズンも3位と好成績を収めた。
2007-08シーズンはリーグとヨーロッパの二つの舞台を戦うことになったが、クラウディオ・ロティート会長の緊縮財政路線により十分な選手が得られなかったこともあり、シーズンを通じて低迷。自身初となるUEFAチャンピオンズリーグにおいてもグループリーグ最下位で敗退した。翌2008-09シーズン、リーグ戦では不安定な成績が続いて10位に終わったが、コッパ・イタリア決勝にてサンプドリアを破り、5年ぶり5回目の優勝を果たす。これを置き土産にシーズン終了後に退団を発表した。
- パレルモ
2009年11月23日、ワルテル・ゼンガの後任としてパレルモの監督に就任。チームの立て直しに成功し、ACミランやユヴェントスといった強豪クラブを撃破し[2]、5位でリーグ戦を終えた。翌2010-11シーズンも引き続き指揮を任されるが、2011年2月27日のウディネーゼ戦で0-7と大敗し、翌28日に解任された[3]。しかし、後任のセルセ・コズミが結果を残せず4試合で解任されたため、4月3日にパレルモの監督に復帰[4]。コッパ・イタリアでは決勝まで勝ち進んだが、インテルに敗れた。シーズン終了後の6月1日、再びパレルモを退団することが発表された[5]。
- フィオレンティーナ
2011年11月7日、フィオレンティーナの監督に就任。成績不振に陥ったクラブの再建を託されたものの、監督就任後もセリエB降格圏をさまようなど成績は上昇せず、挙句の果てに2012年5月2日のノヴァーラ戦 (2-2) で、前半のうちに途中交代を命じられたことに不満を見せたアデム・リャイッチと口論の末、手を出したことが原因で、同日付での解雇が決まった[6]。
- サンプドリア
2012年12月17日、解任されたチロ・フェラーラの後任にUCサンプドリアの監督に就任[7]。
指導方針
フォッジャのユースを指揮していた頃にズデネク・ゼーマンの薫陶を受けており、彼の攻撃サッカーを信奉している。しかし、ゼーマンとは対照的に戦術に固執しない調和型の指揮官である。アタランタBCでは3バック、SSラツィオでは4-4-2、4-3-1-2、あるいは4-3-3とシーズンによって様々なシステムを使い分けるなど、与えられた戦力の長所を生かしつつ綿密に戦術を構築する現実的な采配を執る。
若手起用にも積極的であり、アタランタBC時代にはステファン・マキンワ、SSラツィオでは伸び悩んでいたマウロ・サラテやゴラン・パンデフ、クリスティアン・ダニエル・レデスマ、USチッタ・ディ・パレルモではハビエル・パストーレ、ヨシップ・イリチッチ、フィオレンティーナではステファン・ヨヴェティッチ、マティヤ・ナスタシッチなどを成長させ、ブレイクさせている。
選手歴
- 1978-1980 ASDフォルリンポーポリ1928
- 1980-1981 ACカットーリカ
- 1981-1987 USフォッジャ/フォッジャ・カルチョ
- 1987-1988 SSヴィ・ペーザロ
- 1988-1989 ASフィデーリス・アンドリア
指導歴
- 1990-1991 ASトッレマッジョーレ
- 1992-1993 フォッジャ・カルチョ・ユース
- 1993-1995 サレルニターナ・スポルト
- 1995-1996 フォッジャ・カルチョ
- 1996-1997 ペスカーラ・カルチョ
- 1997-1999 サレルニターナ・スポルト
- 1999-2000 ジェノアCFC
- 2000-2001 ペスカーラ・カルチョ
- 2002-2004 USレッチェ
- 2004-2005 アタランタBC
- 2005-2009 SSラツィオ
- 2009.11-2011.2 USチッタ・ディ・パレルモ
- 2011.4-2011.6 USチッタ・ディ・パレルモ
- 2011.11-2012.5 ACFフィオレンティーナ
- 2012.12-2013.11 UCサンプドリア
- 2015 ボローニャFC
獲得タイトル
- コッパ・イタリア:1回 (2008-09)
脚注
- ^ ただし、カルチョ・スキャンダルによるペナルティで勝ち点30ポイントがはく奪された結果、最終順位は16位となった。
- ^ ユーヴェを下して満足のパレルモ監督
- ^ パレルモが監督解任、後任はコズミ氏
- ^ ロッシ氏がパレルモ監督に復帰
- ^ パレルモ、ロッシ前監督の後任にピオリ氏
- ^ フィオレンティーナ監督、選手を殴って解任
- ^ カターニアに敗れたサンプドリアが監督交代