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ズドラヴコ・クズマノヴィッチ

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ズドラヴコ・クズマノヴィッチ
名前
愛称 Kuzi
ラテン文字 Zdravko Kuzmanović
セルビア語 Здравко Кузмановић
基本情報
国籍 セルビアの旗 セルビア
スイスの旗 スイス
生年月日 (1987-09-22) 1987年9月22日(37歳)
出身地 スイスの旗 ベルン
身長 185cm
体重 83kg
選手情報
在籍チーム ドイツの旗 VfBシュトゥットガルト
ポジション MF (CH)
背番号 8
利き足 右足
代表歴2
2006-2007
2007–
スイスの旗 スイス U-21
セルビアの旗 セルビア
4 (0)
44 (6)
2. 2012年2月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ズドラヴコ・クズマノヴィッチЗдравко Кузмановић, Zdravko Kuzmanović, 1987年9月22日 - )は、スイスベルン出身のセルビア代表サッカー選手VfBシュトゥットガルト所属。ポジションはミッドフィールダー

スイス出身であり、アンダー世代までは同国代表としてプレーしたが、A代表はルーツであるセルビア代表を選択している。2005-2006シーズンにスイスのゴールデンプレーヤー賞を受賞しており、UEFAが選ぶヨーロッパで最も興味深い若手20人のひとりにも選出されている。

来歴

下部組織時代

1994-2001シーズン
  • 7歳の頃からスイスの地元クラブFCデュレナストでサッカーを学び、14歳までの7年間同クラブでプレーしている。
2001-2003シーズン
  • 14歳のときに、スイスの名門クラブであるBSCヤングボーイズにスカウトされる。ここでの3年間でクズマノヴィッチは飛躍を遂げスイスのプロクラブチームの注目を集めることになる。
2003-2005シーズン
  • 17歳で、当時リーグ優勝11回を誇るスイスのビッグクラブであるバーゼルに引き抜かれる。

プロ選手時代

2005-2006シーズン
  • バーゼルにて18歳でトップリーグデビューを果たし、34試合に出場し4得点している。また同時にUEFAカップにも出場し欧州デビューも果たしている。2006年には飛び級でU21スイス代表にも招集されており、これら数々の活躍が認められ、プロデビュー1年目にしてスイスのゴールデンプレーヤー賞を受賞する偉業を成し遂げた。この頃から、クズマノヴィッチの名は若き天才プレーヤーとして欧州各国のクラブの注目を集めている。
2006-2007シーズン
  • 2007年3月12日、クズマノヴィッチはセルビア代表監督のハビエル・クレメンテからA代表招集を受け、それまで自身を育ててきたスイスサッカーを離れ、故郷のセルビア代表を選択することを決断する。
2007-2008シーズン
  • 2007年8月22日に行われたUEFA欧州選手権2008予選のベルギー戦において、自身の代表初得点を記録するばかりか、ドッピエッタ(2得点)を達成した。プレシーズンのクラブ合宿でも好調を維持し、スタメン確保にアピールした。シーズンが始まると中盤のレギュラーに定着し、弱冠20歳にしてリーグ34試合、UEFA杯13試合に出場しそれぞれで得点を挙げる活躍をした。
2008-2009シーズン
  • シーズン前半は3センターハーフのレギュラーとしてモントリーヴォとフェリペ・メロと共にハイレベルなプレーを披露したが、試合によって波もありシーズンを通しては一定したパフォーマンスを示せなかった。シーズン後半は怪我人などのチーム事情により、2センターハーフのシステムを採用する機会が増え、クズマノヴィッチがベンチを暖める回数も増えた。
2009-2010シーズン
  • プレシーズン中にチームが本格的にシステムの変更を打ち出すと、クズマノヴィッチは代表招集のためにも出場機会を訴え移籍を志願した。その後、移籍期限である2009年8月31日にVfBシュトゥットガルトに移籍金700万ユーロで移籍することが決定。
2010-2011シーズン

備考

  • セルビア人である父親がスイスに出稼ぎによって移住し、そこでクズマノヴィッチも生まれ育つことになる。
  • クズマノヴィッチのフィオレンティーナ移籍のさいに起きたパレルモとの一件で、フィオレンティーナとパレルモの関係が冷え込んだといわれている。また、当時クズマノヴィッチの獲得にはセルティックも獲得に動いていた。
  • 前所属クラブのフィオレンティーナのチーム内では、ドイツ語を話す事ができるリッカルド・モントリーヴォトマーシュ・ウイファルシと仲が良いと本人は語っていた。

所属クラブ

外部リンク