フェリペ・メロ

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フェリペ・メロ Football pictogram.svg
MeloKarabük.JPG
名前
本名 Felipe Melo de Carvalho
フェリペ・メロ・ジ・カルヴァーリョ
ラテン文字 Felipe MELO
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 1983年8月26日(30歳)
出身地 ヴォルタ・ヘドンダ
身長 183cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム トルコの旗 ガラタサライ
ポジション MF (CH / DH)
背番号 3
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2003
2003
2004
2005
2005-2007
2007-2008
2008-2009
2009-2013
2011-2013
2013-
ブラジルの旗 CRフラメンゴ
ブラジルの旗 クルゼイロEC
ブラジルの旗 グレミオ
スペインの旗 RCDマヨルカ
スペインの旗 ラシン
スペインの旗 UDアルメリア
イタリアの旗 ACFフィオレンティーナ
イタリアの旗 ユヴェントスFC
トルコの旗 ガラタサライ (loan)
トルコの旗 ガラタサライ
026 (3)
029 (1)
019 (3)
07 (0)
049 (6)
033 (6)
029 (2)
058 (4)
36 (12)
代表歴2
2009- ブラジルの旗 ブラジル 22 (2)
1. 国内リーグ戦に限る。2012年7月3日現在。
2. 2010年7月2日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

フェリペ・メロ・デ・カルヴァーリョ(Felipe Melo de Carvalho, 1983年8月26日 - )は、ブラジルリオデジャネイロ州出身の同国代表サッカー選手。ポジションはMFトルコ・シュペルリガガラタサライ所属。

経歴[編集]

ブラジル時代[編集]

7歳の時に地元のサッカースクールに入団し、9歳になるとCRフラメンゴの下部組織に加入した[1]。攻撃的ミッドフィールダーのポジションで、一年先輩のFWアドリアーノや同年のDFアンドレ・バイーアなどとともにプレーした。フォワードとしてプレーすることもあり、13試合で10得点したことがあった[2]。18歳でプロ契約を結び、マリオ・ザガロ監督の下で2001年11月4日のサンパウロFC戦でデビューすると、その11日後には初得点を決めた。2002年シーズンは21試合に出場し、2003年1月にはU-20ブラジル代表としてU-20南米選手権に出場した。

彼は幼少時代からフラメンゴの熱烈なファンであったが、この時期にフラメンゴは財政難に陥り、2003年には本人の承諾なしにクルゼイロECへの移籍が決定した[1]。攻撃的ミッドフィールダーのポジションにはアレックスなどがいたため、ベンチが定位置だったが、ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督に率いられたクルゼイロは、2003年にブラジル全国選手権コパ・ド・ブラジル、ミナスジェライス州サッカーリーグの3冠を達成した。2004年シーズンはグレミオにレンタル移籍したが、やはりベンチが定位置だった。

スペイン時代[編集]

2004年、リーガ・エスパニョーラRCDマジョルカにレンタル移籍した。シーズン途中にラシン・サンタンデールに完全移籍したが、不慣れな左ウイングで起用されたため、思うような活躍はできなかった[1]。2007年、プリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格したばかりのUDアルメリアに移籍した。ウナイ・エメリ監督の指導の下、ボランチにコンバートされ、2007-2008シーズンは8位という好成績で終えた[1]

イタリア時代[編集]

ユヴェントス時代のメロ

UDアルメリアでの活躍により、FCバルセロナレアル・マドリードが興味を持ったといわれているが、新たなリーグに挑戦したいという本人の思いから[要出典]、2008年、イタリア、セリエAの強豪クラブであるACFフィオレンティーナに移籍することになった。「フィレンツェの街の美しさと、移籍前にフィオレンティーナのホームスタジアムであるアルテミオ・フランキにて観戦し、そのティフォジの熱狂ぶりが故郷のブラジルの熱狂を思い起こさせたからだ」[3]と本人は語っている。

フィオレンティーナ移籍後はすぐにレギュラーポジションを獲得した。2008年末頃、ブラジル代表ドゥンガ監督は選手時代の元所属クラブであるフィオレンティーナに在籍し、自身と同じポジションで活躍するメロに対し、「適切な時期に招集する」と予告していた[要出典]。年が明けると、その予告通りに、2009年2月10日に行われた対イタリア代表との親善試合に代表初招集、セレソンデビュー戦を飾った。その後に行われたワールドカップ南米予選の対ペルー戦では代表初得点を決めている。その得点はハーフウェイライン付近でボールをカットし、そのまま1人でドリブルで駆け上がりゴールを決めるというものであった。コンフェデレーションズカップ南アフリカ大会ではレギュラーとして出場し、グループリーグのアメリカ戦では先制点を挙げるなど優勝に貢献した。

2009年7月、移籍金2050万ユーロでユヴェントスFCに移籍した(実質的にはマルコ・マルキオンニとの交換トレード)[4]。しかし高額な移籍金に見合う活躍はできず、最も期待はずれだった選手に贈られるビドーネ・ドーロを受賞した[5]

2010年には2010 FIFAワールドカップのブラジル代表に選出され、4試合に出場。7月2日に開催された準々決勝 オランダ戦において、ロビーニョの先制ゴールをアシストしたが、後半8分にヴェスレイ・スナイデルのクロスへの対応で飛び出したジュリオ・セーザルと交錯。同点ゴール[6]を許すミスをした上、28分にはアリエン・ロッベンを踏みつけて退場処分を受けた。この失態はブラジル国内で猛烈に批判され、帰国時には空港でサポーターから罵詈雑言を浴びせられる事態になった。

トルコ時代[編集]

2011年7月にガラタサライに150万ユーロでレンタル移籍(1300万ユーロでの買取オプション付き)[7]。プレーオフを含む36試合に出場し12ゴールを挙げ、ガラタサライの4シーズンぶりのリーグ優勝に貢献した。しかし、ガラタサライは買取オプションを行使せず、ユベントスと交渉の結果、レンタル料175万ユーロ、650万ユーロの買い取りオプション付きという条件で引き続きガラタサライにレンタル移籍することが決まった[8]

2012年11月24日のエラーズスポル戦では1点リードの後半44分にペナルティエリア内で相手選手を倒し退場となったGKフェルナンド・ムスレラに代わって急きょGKを任されると、相手のPKを止めて勝利の立役者となった[9]

2013年7月16日、ユヴェントスからガラタサライに完全移籍。移籍金は375万ユーロ[10]。 契約は3年間。

評価[編集]

ACFフィオレンティーナのスポーツディレクターであるパンタレオ・コルヴィーノはメロについて、「全てにおいて優れる完璧なセンターハーフ」とのコメントを残している[要出典]

エピソード[編集]

  • 憧れの選手はジーコ[2]、そのジーコが鹿島アントラーズに在籍していたことや自身が幼い頃に柔道を習っていた経験から日本に関心を持っている。ユヴェントス移籍後はしばしば妻とともに、トリノの日本料理店で寿司や刺身、てんぷらを食べている[11]

所属クラブ[編集]

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ブラジルの旗 CRフラメンゴ
  • カンピオナート・カリオカ (2001)
  • コッパ・ドス・カンペオンエス (2001)
ブラジルの旗 クルゼイロ
イタリアの旗 ユヴェントス
トルコの旗 ガラタサライ

代表[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 「運命を変えたコンバート」ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2009年10月15日号、78-79頁
  2. ^ a b footballista、ソルメディア、2009年10月28日号、14-15頁
  3. ^ フェリペ・メロ:「フィレンツェは僕にとってのブラジル」、Goal.com、2008年5月24日
  4. ^ サッカー=ユベントス、ブラジル代表メロと契約 ロイター 2009.7.16付記事
  5. ^ F・メロに“金のバケツ”賞 Goal.com日本語版 2009.12.15付記事
  6. ^ メロのオウンゴールという判定だったが、試合後に変更された。スナイダーの得点に変更 時事ドットコム 2010.7.4付記事
  7. ^ Agreement with Galatasaray for the disposal of the player Felipe MeloJuventus.com、2011年7月22日
  8. ^ Felipe Melo de Carvalho Galatasaray'daGalatasaray.org、2012年8月10日
  9. ^ ガラタサライ、GKフェリペ・メロがPKストップ Goal.com 2012年11月25日
  10. ^ http://www.juventus.com/juve/it/news/felipe+melo+ceduto+al+galatasaray
  11. ^ F・メロが語る日本愛、Goal.com、2009年10月5日

外部リンク[編集]