サイモン・コロシモ
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
名前 | ||||||
本名 | サイモン・コロシモ | |||||
ラテン文字 | Simon Colosimo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
オーストラリア イタリア | |||||
生年月日 | 1979年1月8日(45歳) | |||||
出身地 | ビクトリア州メルボルン | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | メルボルン・ハートFC | |||||
ポジション | DF (CB) | |||||
背番号 | 4 | |||||
利き足 | 両足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 (得点) | ||||
1997-2000 2000-2001 2001-2002 2002 2002-2003 2003-2004 2004 2005-2008 2007 2008-2010 2010- |
カールトン サウス・メルボルン マンチェスター・シティ ロイヤル・アントワープ パース・グローリー パラマッタ・パワー パハン パース・グローリー → シヴァスポル (loan) シドニー メルボルン・ハート |
50 (10) 18 (2) 6 (0) 0 (0) 14 (0) 23 (1) 20 (6) 50 (2) 14 (1) 34 (0) 42 (1) | ||||
代表歴2 | ||||||
1997-1999 2000 1998- |
オーストラリア U-20 オーストラリア U-23 オーストラリア |
15 14 (0) 26 (3) (5) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2012年12月26日現在。 2. 2012年5月30日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
サイモン・コロシモ(Simon Colosimo, 1979年1月8日- )は、オーストラリア・メルボルン出身の同国代表サッカー選手。
来歴
コロシモは、1997年にAIS卒業後、同年に創設されNSLに参戦するカールトンSCに加入した。デビュー年からレギュラーとして活躍していたことからバイエルン・ミュンヘンとパナシナイコスFCから関心を寄せられていたが、1999年7月22日、マンチェスター・ユナイテッドFCの親善試合ツアー戦でアンディ・コールのタックルで膝を負傷した[1]ことで、1999-2000シーズン大半を欠場することを余儀なくされた。このシーズン終了後にカールトンが解散したことにより、2000年3月14日に地元のサウス・メルボルンFCと契約した。 メルボルンで1年プレー後にヨーロッパへ移動し、イングランド2部のマンチェスター・シティFCに加入。さらにその1年後にベルギーのロイヤル・アントワープFCに移動となかなか定着出来ず、2002年にオーストラリアへ戻りNSLのパース・グローリーFC, 2004年にリーグが解体されるまでパラマッタ・パワーで過ごした。
2004年、マシュー・ビングリー, アンテ・ミリチッチら同胞数人と共にマレーシアのパハンFAに加入し、再編されたこのリーグで優勝をした。
新設されたAリーグに参戦する古巣パース・グローリーに誘われ、オーストラリアに戻り3年契約を結んだ。2006-07シーズンにチームのMVPに選ばれた。
Aリーグのオフシーズンを利用した4ヶ月の短期レンタルでトルコのシヴァスポルに参加[2]し、2007-08シーズン開幕に向けて復帰すると、チームのキャプテンに任命された[3]。しかし、シーズン終了後にシドニーFCへ移籍する動きが噂されると、パースのサポーターから歓迎されなくなり敵意を向けられ[4]、終盤戦の数試合はスタメン落ちが続いた[5]ため、2008年1月22日に双方合意で契約を解除し退団した[6]。
1月27日、2008-09シーズン開幕に向けてシドニーFCに2年契約で加入[7]。翌2009-10年シーズンは、シーズンを通してコンスタントに印象的なパフォーマンス披露。その集大成として2度目となるジョー・マーストン・メダルを獲得し、CBとして傑出した選手となった。2010年3月31日、同僚のクリント・ボルトン, ジョン・アロイージと共にメルボルン・ハートに移籍した[8]。この新クラブでキャプテンとなったコロシモは、アデレード・ユナイテッドFC戦のロスタイムにゴールを決めて2-1で勝利した。
代表
1997年、AIS所属時にU-20代表に選出。翌1998年、19歳の時にフィジー戦でオーストラリア代表デビューを果たした。さらに翌年の1999 FIFAワールドユース選手権のメンバーに選ばれた。
1999年7月18日、メルボルン・クリケット・グラウンドで行われるマンチェスター・ユナイテッドFCとの親善試合にラウル・ブランコ代表監督に招集されると、この試合でアンディ・コールに膝をタックルをされストレッチャーで退場。内側側副靱帯の前十字靭帯を負傷・前十字靭帯再建術が必要と診断され、半年間ボールを蹴られない日々が続いた。この件に関しカールトンSCのGMは法的措置の構えを見せた[1][9]。
怪我から回復後は、シドニーオリンピックやFIFAコンフェデレーションズカップ2005等に出場。また、AFCアジアカップ2007 (予選)を戦いぬき本大会進出に貢献したが、リザーブメンバーにとどまりAFCアジアカップ2007のメンバー入りは果たせなかった。
プライベート
イタリアからオーストラリアに移住したイタリア人の家系に生まれる[10]。ビアンカという名の妻と2人の子供がいる[11]。
所属クラブ
- カールトンSC 1997-2000
- サウス・メルボルンFC 2000-2001
- マンチェスター・シティFC 2001-2002
- ロイヤル・アントワープFC 2002
- パース・グローリーFC 2002-2003
- パラマッタ・パワー 2003-2004
- パハンFA 2004
- パース・グローリーFC 2005-2008
- シドニーFC 2008-2010
- メルボルン・ハートFC 2010-
タイトル
- 代表
- OFCネイションズカップ : 2000, 2004
- クラブ
- オーストラリアン・ナショナルサッカーリーグ : 2002-2003
- マレーシアサッカーリーグ : 2004
- Aリーグ : 2009-2010
- 個人
- ジョー・マーストン・メダル : 2003, 2010
脚注
- ^ a b "Football: Lawyers in action on Cole tackle"
- ^ "Colosimo back in Perth"
- ^ "Colosimo new Perth skipper"
- ^ "Colosimo not feeling the love from Perth"
- ^ "Sydney on alert as Colosimo left out of Perth win"
- ^ "Colosimo, Bertos freed by Glory"
- ^ "Sydney FC signs Simon Colosimo to two year deal"
- ^ "Colosimo joins Aloisi at Heart"
- ^ "Sport: Football Cole accused of ego problem "
- ^ "Colosimo permit probs"
- ^ "Colosimo lands on his feet at Sydney"
外部リンク
- サイモン・コロシモ – FIFA主催大会成績(英語)
- サイモン・コロシモ - National-Football-Teams.com(英語)
- メルボルン・ハート公式HP