ゲオルク・フリードリヒ・フォン・プロイセン

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ゲオルク・フリードリヒ・フォン・プロイセン
Georg Friedrich von Preußen
ホーエンツォレルン家当主
ゲオルク・フリードリヒ・フォン・プロイセン

全名 Georg Friedrich Ferdinand(ゲオルク・フリードリヒ・フェルディナント)
出生 (1976-06-10) 1976年6月10日(47歳)
西ドイツの旗 西ドイツブレーメン
配偶者 ゾフィー・フォン・イーゼンブルク英語版
子女 カール・フリードリヒ・フォン・プロイセン
ルイ・フェルディナント・フォン・プロイセン
エンマ・マリー・フォン・プロイセン
父親 ルイ・フェルディナント・フォン・プロイセン (1944-1977)
母親 ドナータ・グラーフィン・ツー・カステル=リューデンハウゼン英語版
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ゲオルク・フリードリヒ・フォン・プロイセンGeorg Friedrich von Preußen, 1976年6月10日 - )は、プロイセン王家の子孫。ホーエンツォレルン家家長ルイ・フェルディナント(1世)の孫で、ヴィルヘルム2世玄孫の一人。1994年からプロイセン王家家長となっている。

全名はゲオルク・フリードリヒ・フェルディナントGeorg Friedrich Ferdinand)。

来歴

ゲオルク・フリードリヒは1976年6月10日、プロイセン王家家長の法定推定相続人ルイ・フェルディナント(2世)とその妻であったドナータ・ツー・カステル=リューデンハウゼン英語版伯爵令嬢(Donata Gräfin zu Castell-Rüdenhausen, 1950年 - )との間に長男としてブレーメンで生まれた。1歳のときにルイ・フェルディナント(2世)が軍の訓練中に事故死したため、ゲオルク・フリードリヒはプロイセン王家家長の法定推定相続人となった。ブレーメンとオルデンブルクで中等教育を受けた後、彼はグレンアーモンド・カレッジ(スコットランドパースおよびキンロスにあるボーディングスクール)を卒業した。スコットランド滞在中の1994年にルイ・フェルディナント(1世)が死去したため、ゲオルク・フリードリヒはプロイセン王家家長となった。

バイエルン州山岳部隊で2年間の兵役を終えた後、ゲオルク・フリードリヒは旧東ドイツザクセン州にあるフライベルク鉱山工科大学 (TU Bergakademie Freiberg)で経営学経済学を学んだ。現在はベルリン在住で、父方の祖母キーラ・キリロヴナが設立したキーラ王女財団(Prinzessin-Kira-von-Preußen-Stiftung)の理事長を務め、他にヘッセン州知事らとともに独米クラブ連盟(Verband der Deutsch-Amerikanischen Clubs; Federation of German-American Clubs e.V.)の名誉理事(Honorary Board Members)に名を連ねている。

ゲオルク・フリードリヒはプロイセン王家の男系子孫としてプロイセン王子Prinz von Preußen)の称号を、ドイツ皇帝位及びプロイセン王位の継承者として殿下Kaiserliche und königliche Hoheit)の敬称を持つほか、プロイセン側のオラニエ侯位継承者でもある。また、1442年ホーエンツォレルン家メクレンブルク家の間に結ばれたヴィトシュトック条約により、フリードリヒ・フランツ5世の死去(2001年)によって男系が断絶したメクレンブルク家の二つの大公位(メクレンブルク=シュトレーリッツ家(正嫡の系統は1934年断絶)とメクレンブルク=シュヴェリーン家)の継承者であるとみなす人もいる。ただし本人はこの称号を主張したり承認したりはしていない。

「ドイツ人は、祖国を君主制に戻すことについて考えるべきです。私はそれが起こるだろうと確信しています。」と発言する[1]など、ドイツに君主制を復活させようという趣旨の主張をしている。自身がドイツにおいて政治的な役割を持とうとはしておらず[2]、あくまで立憲君主制の樹立を目指している。

家族

2011年1月、イーゼンブルク侯家家長フランツ・アレクサンダーの娘で幼馴染のゾフィー・フォン・イーゼンブルク英語版(Sophie Prinzessin von Isenburg、1978年 - )と婚約。8月27日にポツダムで結婚した。

2013年1月20日、ゾフィー妃がブレーメンで男子の双子を出産し、カール・フリードリヒルイ・フェルディナントと名付けられた。2015年4月2日、第3子の女児が誕生。エンマ・マリー(Emma Marie)と名づけられた。

脚注

  1. ^ Vanity Fair magazine, [1]
  2. ^ Ich brauche kein Schloss” (German). Cicero (2005年6月). 2011年6月20日閲覧。 “Ich habe als Chef des Hauses Hohenzollern keine politische Rolle — und strebe dies auch nicht an”
先代
ルイ・フェルディナント1世
プロイセン王家家長
1994 -
次代
-
推定相続人:カール・フリードリヒ
先代
フリードリヒ・フランツ5世
メクレンブルク[=シュヴェリーン]大公位継承権者
2001 -
次代
-
推定相続人:カール・フリードリヒ・フォン・プロイセン
上位
ナタリー・フォン・プロイセン
旧プロイセン王家
イギリス王位継承順位
継承順位第170
他の英連邦王国の王位継承権も同様
下位
カール・フリードリヒ・フォン・プロイセン
旧プロイセン王家