ルイ・フェルディナント・フォン・プロイセン (1907-1994)

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ルイ・フェルディナントとキーラ夫人(1938年)

ルイ・フェルディナント・フォン・プロイセン(Louis Ferdinand von Preußen, 1907年11月9日 - 1994年9月25日)は、プロイセン王国の王族。全名はルイ・フェルディナント・ヴィクトル・エドゥアルト・アルベルト・ミヒャエル・フーベルトゥスLouis Ferdinand Victor Eduard Adalbert Michael Hubertus)で、息子のルイ・フェルディナントと区別するため「大ルイ・フェルディナント」あるいは「ルイ・フェルディナント1世」とも呼ばれる。

最後のドイツ皇太子ヴィルヘルムの次男で、ヴィルヘルム2世の孫の一人。

1907年11月9日ポツダム大理石宮殿で生まれる。11歳の時の1918年第一次世界大戦敗戦により、ドイツ帝国は崩壊。その後成立したドイツ国ヴァイマル共和国大統領パウル・フォン・ヒンデンブルク1934年に死去した際の遺言により、帝政復古の際に擁立される可能性があったが、その遺言状はアドルフ・ヒトラーに握り潰されてしまったため帝位に就くことはできなかった。1951年の父ヴィルヘルム死去に際して、兄のヴィルヘルム・フリードリヒ・フランツ・ヨーゼフ・クリスティアン・オーラフが貴賎結婚していた上に既に亡くなっていた為、プロイセン家の家長につき、1994年に死去するまで務めた。その間息子のルイが事故死したため、死後は孫のゲオルクが継いだ。

系譜[編集]

父は皇太子ヴィルヘルムで、母はその妃であったメクレンブルク=シュヴェリーン大公フリードリヒ・フランツ3世の娘ツェツィーリエ。夫人はロシアキリル大公、ヴィクトリア・メリタ・オブ・サクス=コバーグ=ゴータ夫妻の次女キーラで、彼女との間に以下の子女たちを儲けた。クリスティアン・ジギスムントは1994年から2013年までプロイセン家家長の推定相続人であった。

  • フリードリヒ・ヴィルヘルム(1939年 - )
  • ミヒャエル(1940年 - )
  • マリー・セシール(1942年 - )
  • キーラ(1943年 - 2004年)
  • ルイ・フェルディナント(1944年 - 1977年)
  • クリスティアン・ジギスムント(1946年 - )
  • クセニア(1949年 - 1992年)
先代:
ヴィルヘルム
プロイセン王家家長
1951-1994
次代:
ゲオルク・フリードリヒ