カラシュ=セヴェリン県

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Judeţul Caraş-Severin

紋章

カラシュ=セヴェリン県の位置
地域 西地域
歴史的な地域 バナトトランシルヴァニア
県都 レシツァ
面積 8,514km2
人口 333,219人(2002年)
人口密度 39人/km2
ISO 3166-2 RO-CS

カラシュ=セヴェリン県 (カラシュ=セヴェリンけん、ルーマニア語Judeţul Caraş-Severin、発音:'ka.raʃ se.ve.'rin、セルビア語Караш Северинクロアチア語Karaš-Severinハンガリー語: Krassó-Szörényブルガリア語Караш-Северин)は、ルーマニアの県。バナト地方にあり、県都はレシツァ。東はフネドアラ県ゴルジュ県、北はティミシュ県、南はメヘディンツィ県、南西はセルビアヴォイヴォディナ自治州と接する。

統計

2002年の調査では、県人口は333,219人である。人口密度は1平方キロメートルに約39人。

人口の多数を占めるのはルーマニア人(88.24%)である。少数民族はロマ人(2.37%)、クロアチア人(1.88%)、ドイツ人(1.84%)、セルビア人(1.82%)、ハンガリー人(1.74%)、ウクライナ人(1.05%)である [1]

県人口[2]
1948 302,254
1956 327,787
1966 358,726
1977 385,577
1992 376,347
2002 333,219

地理

県の面積は8,514平方キロメートルであり、国内でティミシュ県スチャヴァ県に次いで三番目に広い。ドナウ川がルーマニアに入る地点でもある。

県の67%を南カルパチア山系のバナト山脈(Banat)、ツァルク=ゴデアヌ山脈(Ţarcu-Godeanu)、チェルネイ山脈(Cernei)など600メートルから2100メートルの山地が占める。県の西部には、山地とバナト平原の変わり目の丘陵がある。

セルビア国境のバジアシュ(Baziaş)近辺でドナウ川がルーマニアへ入る。ティミシュ川(Timiş)、チェルナ川(Cerna)、ネラ川(Nera)が県内を流れ、いくつかが広い谷と峡谷を通過する。

歴史と経済

1718年に県はハプスブルク家支配下に入り、バナトという地方に組み込まれた。県都レシツァは1771年に建設され、オーストリア支配時代に近代産業都市に成長した。この地域は鉱業のために注目を集めてきた。1855年、鉱床と材木資源の供給できるバナト地方全体がオーストリア帝国大蔵省から、オーストリア=フランスの鉱業・鉄道会社StEGへ移管された。StEGはルーマニア最初の鉄道線、オラヴィツァ・バジアシュ鉄道を建設した。

第一次世界大戦後、StEG及びバナト地方、オーストリア帝国の資産の大半がUDRという会社へ継承された。第二次世界大戦後、共産主義体制がルーマニアで確立すると、鉱業の国有化が推進されて一帯ではすさまじい社会変動がもたらされた。

観光

考古学的発見から、この地域に旧石器時代から人が住んでいたことがわかっている。レシツァの県歴史博物館では、太古の加工品を展示し、オクナ・デ・フィエル(Ocna de Fier)のコンスタンティン・グルイェスク鉱物学博物館でも展示が見られる。

行政区画

カラシュ・セヴェリン県は2つの都市、6つの町、69の小自治体からなる。

主な都市

参照

  1. ^ National Institute of Statistics, "Populaţia după etnie"
  2. ^ National Institute of Statistics, "Populaţia la recensămintele din anii 1948, 1956, 1966, 1977, 1992 şi 2002"