アーメド・ラディ

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アーメド・ラディ
名前
本名 アフマド・ラーディー・フマイシュ・アッ=サーリヒー
Ahmad Radhi Hmaiesh Al-Salehi
愛称 ネウロイ
ラテン文字 Ahmed Radhi
アラビア語 أحمد راضي هميش الصالحي
基本情報
国籍 イラクの旗 イラク
生年月日 (1964-03-21) 1964年3月21日
出身地 サーマッラー
没年月日 (2020-06-21) 2020年6月21日(56歳没)
選手情報
ポジション FW
代表歴
1983-1997 イラクの旗 イラク 73 (42)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アーメド・ラディアフマド・ラーディーアラビア語: أحمد راضي‎、Ahmad Radhi Hmaiesh Al-Salehi, 1964年3月21日 - 2020年6月21日)は、イラク出身の元同国代表サッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。1988年度のアジア年間最優秀選手賞受賞者、日本ではドーハの悲劇の時の対戦相手としても知られる。

イラク史上最高のサッカー選手として広く認められている[1]

来歴

1983年4月28日エジプト戦で代表デビューを飾るとその試合で代表初得点を記録、以降1984年のロサンゼルス五輪、1986年のメキシコW杯に中心選手として出場した。メキシコW杯ではベルギー戦で得点を決めるなど、1980年代のイラクサッカーの黄金期を支えると共に、中東のスーパースターの座を確固たるものとした。

現役引退後は政治家へ転身し、2005年12月15日のイラク総選挙ではスンナ派系イスラム政党のイラク・イスラム党から立候補している。イラク戦争後にサッカー協会会長として来日しニュースステーションに出演したことがある。

2020年6月13日、2019新型コロナウイルス(COVID-19)に感染し、バグダッド市内の病院に入院。一旦は症状が回復し退院したが、16日に再び容態が悪化し再入院。そのまま回復することなく、21日に合併症のため死去した[2][3]。56歳没。

所属クラブ

代表歴

タイトル

  • 個人
アジア年間最優秀選手賞 1988年
ガルフカップ1988 得点王
イラク・プレミアリーグ 1991-1992 得点王

関連項目

脚注