アルマン・サラクルー

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アルマン・カミーユ・サラクルー(Armand Camille Salacrou、1899年8月9日 - 1989年11月23日)は、フランス劇作家ルーアンに生まれ、ル・アーヴルで没した。代表作『アラスの見知らぬ女 (Inconnue d'Arras)』や『デュラン大通り (Boulevard Durand)』などで知られる。

経歴[編集]

3歳のときに家族とともにル・アーヴルに移り住み、以降生涯を通して同地に関わり続けた[1]。ル・アーヴルのリセに学んだ後、パリ医学文学法学を学ぶ。物理学化学生物学の検定に合格。哲学法学で学士号を取得した。

1920年代には、『リュマニテ』紙、『l'Internationale』紙の記者ジャーナリスト)であった。

1963年には、第16回カンヌ国際映画祭の審査委員長を務めた。

1966年には、第19回カンヌ国際映画祭の審査委員のひとりとして、クロード・ルルーシュの映画(『男と女』)を支持した。

サラクルーは、モリエール以降では初めて、存命中に作品がコメディ・フランセーズによって上演された劇作家である。サラクルーはまた、演劇ゴンクール兄弟レジスタンス運動などについての文章を集めた『Les idées de la nuit(夜想)』 (Librairie Arthème Fayard, 1960, 259 p.) を著している。

サラクルーは、ルネ・クレール監督『悪魔の美しさ (La Beauté du diable)』の脚本も担当している。

レジオンドヌール勲章グラントフィシエ(大将校)であり、教育功労章および芸術文化勲章のコマンドゥール(司令官)、スポーツ勲章 (Ordre du Mérite sportif) のオフィシエ(将校)でもある。

サラクルーは、 1949年から1983年まで、アカデミー・ゴンクール (Académie Goncourt) の会員であった。

サラクルーは、死去する直前に蔵書や草稿類などの史料を、すべてル・アーヴル市に寄贈した[1]。これを受けてル・アーヴル市は、1990年から市立中央図書館にサラクルーの名を付け「アルマン・サラクルー図書館」と改称した[1][2]

おもな戯曲作品[編集]

出典・脚注[編集]

  1. ^ a b c Armand Salacrou”. Le Havre. 2012年12月12日閲覧。
  2. ^ Bibliothèque Armand Salacrou”. Le Havre. 2012年12月12日閲覧。
  3. ^ a b c 世界大百科事典 第2版『サラクルー』 - コトバンク
  4. ^ a b デジタル大辞泉『サラクルー』 - コトバンク
  5. ^ a b c 大辞林 第三版『サラクルー』 - コトバンク
  6. ^ アルマン・サラクルー 著、大久保輝臣 訳「あべこべ人生」、鈴木力衛編 編『現代世界戯曲選集 第13巻 フランス篇』白水社、1954年。 

外部リンク[編集]