MAH
MAH(マー ・本名、小川雅代 1969年5月25日生)は、日本のギタリスト[1]。作家。モデル。女優。東京都港区出身。
概要
ロック・バンドJETT SETTのリードギターリスト、ヴォーカリスト、作詞家、作曲家、編曲家。東京近郊で活動中。10代から女優、モデルとしての実績もあり。一時は母である小川真由美とドラマやバラエティー番組で共演していた事もあったが、後に母との確執を綴った『ポイズン・ママ~母・小川真由美との40年戦争』(文藝春秋 2012年3月)を刊行した。同書は2018年10月19日に電子書籍化されている。父親は俳優の細川俊之。
音楽活動
1982年、学校の先輩が出演したYAMAHAポプコンを見に行ったのをきっかけに、ライブハウスに通い、バンドで演奏するようになってゆく。1985年、新宿ロフトでシーナ&ザ・ロケッツのギター、鮎川誠に出会う。1980年代は、新宿ロフトやShibuya O-EASTで開催されていた「ロックの日」で、ザ・ロケッツをバックにブロンディやイギー・ポップのカヴァーでゲスト出演。
2004年、自身のバンドは何度か名前やメンバーチェンジを経た後、現在のバンド名JETT SETTとなる。
2006年、ミニアルバム「Go Ahead」発売(JETT CATT RECORDS)。
2014年『BOLLOCKS』(ロック雑誌)にJETT SETTがグラビア掲載される。
同年、バンドと並行して行っていたソロ活動として、ex.シーナ&ザ・ロケッツの渡邊信之と共に大阪・京都ツアーを行う。
2020年10月15日、渋谷Egg Manで行われたCOLOR RED RECORD ワールドデビューオーディションファイナルに出場。
参考文献 Bollocks編集部 「BOLLOCKS」No.015 2014年09月 67頁
母との確執
世間的には大女優である母、小川真由美は、狂信していた占いにより、身の回りから一切の緑色と紫色を排除したり、数十羽のチャボを飼ったり、MAHの本名や、学校や、何もかもを「このままだと悪い事が起こる」と次々変えた。幼い頃は母の言う事に従っていたが、付き人が盗んだ300万円の犯人の濡れ衣を着せられたり、食事を与えられず、頻繁に5~7日間の飢餓状態に追い込まれたり、母との関係に苦しみ自殺も考えるようになる。父親や周囲も助けてはくれず、唯一の救いは、同居していた、母の彼(バンドマン)のレコードを隠れて聞く事だった。その中にあったピンク・フロイドの「マザー」という曲の歌詞を読み、「世界には同じ思いをしている人達が居るかもしれないから、もう少し生きてみよう」と思った。
2012年、上記の母と娘の確執に迫った『ポイズン・ママ〜母・小川真由美との40年戦争〜』を文藝春秋より上梓。2週間後に出版された田房栄子の漫画『母がしんどい』とともに、毒親・毒母ブームの火付け役となった。その一方で、好奇の目や偏見から「親を悪く言うなんて!」と叩かれたり、小川真由美を盲信するファンからの反撃にあったりしたが、同書は岡田尊司『母という病』の参考文献になったり、テレビや雑誌で取り上げられたりして、毒親・毒母の認知は確実に上がっていった。
2012年、『問題家族とのつきあい方(春秋BOOKS文藝)』でしまおまほと対談。これ以降、毒親・毒母に関連するイベントに盛んに出演した。2012年 - 2015年、阿佐ヶ谷ロフトA、大阪ロフトで行われた毒母ミーティング(トークイベント)では、臨床心理士の信田さよ子、田房永子とともに10回にわたるミーティングを実施した。2013年、『婦人公論』から母である小川真由美との対談を求められるが、これを断り、両者別々のインタビューとなった。
2012年 精神科医の岡田尊司氏の著書『母という病』に参考文献としてポイズン・ママの一部が掲載される。
2014年9月 『季刊Be!』にインタビュー掲載。
2018年 『雑誌STORY2月号』私と毒親の"一方的講和条約"特集にインタビュー掲載。
2018年、『ポイズン・ママ』が電子書籍化される。2021年『毒親から離れて、幸せになる方法』(宝島社ムック本)でインタビューに応じる。
2022年 「ポイズン・ママ」イラストMovieをYoutubeで配信開始。
その他多数。
参考文献 ポイズン・ママ 母・小川真由美との40年戦争(文藝春秋社、2012年3月)、婦人公論(中央公論社2113年10月17日38~41頁)、問題家族とのつきあい方(春秋BOOKS文藝「本の話」2012年4月13日486~490頁)[要文献特定詳細情報]、毒親から離れて、幸せになる方法(宝島社 2021年11月21日 26~31頁)[要文献特定詳細情報]、母という病 (ポプラ社 2012年11月4日 198~199頁)[要文献特定詳細情報] STORY(光文社 2月号 2018年2月 211~213頁)、季刊Be!(特定非営利活動法人ASK事業部2014年9月 58~63頁)、母がしんどい(KADOKAWA/中経出版 2012年3月23日)
芸能活動
1985年、「二人のベンチ」が女優として初めての活動である。当初は母の付き人をさせられていたが、演出家の目にとまり、眼鏡の文学少女役として出演し、相手役の清水綋治を「ふざけんじゃねぇ!酔っ払いのくせに」と一喝する役どころを務めた。1989年からフォードモデルジャパン(クリームインターナショナル)に所属した後、1990年オフィス・メイへ移籍。1992年以降はフリーとして活動。
モデル活動
- 無印良品のカタログモデル、ヒロミチナカノコレクションモデル(1989年)
- 月刊「カメラマン カメラマンEX」で表紙&完頭ページモデル(1997年)
- 池袋Wacca(ポスター)ファッションビルモデル(2019年)- Crawdaddy Studioデザイナーの黒川聡アートディレクションのもと、1人9役で9人のロックスターに変身。
- 参考文献 月間カメラマンEX(モーターマガジン社 「月間カメラマン10月別冊」1997年10月30日 13~17頁)
CM
- ヤクルト珈琲タイム(1990年)・とんねるず木梨憲武の恋人役。
- きゅーりのキューちゃんの3代目Qちゃんガール(1990年)
テレビ・映画出演
- 「プロゴルファー織部金次郎2」(1994年)・ヒロイン財前直見の同僚役。
- 「大江戸弁護人走る!(テレビ朝日)」(1996年 )・町娘役。
- 「月曜ドラマスペシャル / 湯けむり仲居純情日記シリーズ」(TBS、1996 - 1997年 )Vol.5 旅館のお嬢役、Vol.6 自殺願望アリの誘拐犯役(準主役)
その他
- JIFF映画祭(ジャパン・インディーズ・フィルム・フェスティバル) 審査員(2021年11月) 出典JIFF映画祭
関連項目
外部リンク
- JETT SETT OFFICIAL WEBSITE
- 文藝春秋BOOKS「ポイズン・ママ~母・小川真由美との40年戦争~」(文藝春秋)電子書籍
- 特別対談「問題家族とのつきあい方」
- 母の頚木から逃れるために…『ポイズン・ママ』
- 夕刊フジ
- 小川真由美が毒親だったと言われる理由とは!
- exciteニュース インタビュー
- 女性自身インタビュー
- Wezzyインタビュー
脚注
- ^ “SiM・MAHの考え方が180度変わった出来事とは。THE ORAL CIGARETTES・山中拓也が聞く | J-WAVE NEWS”. J-WAVE NEWS | 音楽、映画、エンタメ「ここだけの話」 | J-WAVE 81.3 FM. 2021年12月26日閲覧。