香港クレージー作戦

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香港クレージー作戦
"Crazy Cats" Go to Hong Kong
監督 杉江敏男
脚本 笠原良三
製作 藤本真澄渡辺晋
出演者 ハナ肇とクレージーキャッツ
浜美枝
中尾ミエ
音楽 神津善行
主題歌 植木等「どうせやるなら」
撮影 完倉泰一
編集 小畑長蔵
配給 東宝
公開 日本の旗 1963年12月22日
上映時間 93分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
前作 クレージー作戦 くたばれ!無責任
次作 無責任遊侠伝
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香港クレージー作戦』(ホンコンクレージーさくせん)は、1963年12月22日東宝系で公開された日本映画。カラー。東宝スコープ

副題は『"Crazy Cats" Go to Hong Kong』(クレージーキャッツゴートゥーホンコン)。

概要[編集]

クレージー作戦 先手必勝』『クレージー作戦 くたばれ!無責任』に続く、「作戦シリーズ」第3作で、クレージー映画初の海外ロケ=香港の旗 イギリス領香港ロケが行われた。監督はベテラン・杉江敏男がシリーズ初登板、杉江は過去『お姐ちゃん罷り通る』『社長洋行記』『続・社長洋行記』と香港ロケを経験しており、その実績を買われた。またスタッフには、第1作『ニッポン無責任時代』以来の神津善行が劇伴を担当(シリーズ最後)、そして実績は認めつつもクレージー映画を嫌っていた藤本真澄が、シリーズで初めてプロデュースを務めた。

ヒロインは『くたばれ!無責任』に続く浜美枝、そして助演にはクレージー映画常連の由利徹人見明、『先手必勝』の中尾ミエ淡路恵子柳家金語楼、そして有島一郎東映脇役の進藤英太郎がシリーズ初登場、特に進藤はシリーズ中期に欠かせない俳優となる。

最大の見所は、クレージーが(まとまった形では)映画で初めて披露する「音楽コント」。これが好評となり、以後『クレージー大作戦』などの「作戦シリーズ」の名物シーンとなる。

ストーリー[編集]

駅前の平らな脇道を飲んでいると、立ち退きの問題で大騒ぎになりました。小さなレストラン「はちたろう」、豚カツ屋のあんきち、ホルモン焼き屋の「けいいち」が最強の野党グループ。今日は集まって、小さなレストラン大塚太郎が一緒になって知恵を絞ります。この脇道に何ヶ月もお金を貯めているCのような男、100代目の上田は「立ち退き手数料と引き換えに借金をする」と申し出たが、中華料理店が中国の首都でオープンする。落ち込んでいた3人は頑張った。

上田は一人で中南株式会社に忍び込み、澪社長を訪ね、香港の澪の建物と引き換えに立ち退きを交渉した。心ゆくまで戻った上田は、ディンペイ横丁の住民全員と一緒に香港に行くことにした。

経理部の浜野さんは、会社を辞めて香港に行った上田さんに連れて行ってほしいと頼んだ。また、ドリンキングフラット横丁の流し台である石井さんと桜橋さんも香港に行くことにしました。事業の運転資金はキャメルビールの社長に飲み込まれ、彼は3000万のローンを組んだ。

ちなみに、香港に行った8人のグループがあなたのビルに日本食レストラン「菊ヶ亭」をオープンしましたが、5日経っても客がいませんでした。上田の窮状の尺度として香港のメインストリートに店を開こうとしたときに、日本のショーダンサーの麻美と雑種歌手のナカミキコに会いました。

とにかく、計画通りチンドン屋を持っていた上田は、法律のために拘置所に送られました。翌日、あなたの助けを借りてそれらすべてが解放されました。

しかし、新聞で見に来た浅見らの協力を得て、チンドン屋のバンドが香港で最高のナイトクラブに登場します。そこでは、土地の影響力者である張が好きだったグループが「菊亀井」のバックアップに成功し、香港での江戸光上陸作戦は大成功を収めました。

スタッフ[編集]

出演者[編集]

(以下クレジット無し)

挿入歌[編集]

「チンドンヤ」
作詞:塚田茂/作曲:萩原哲晶
「めんどうみたョ-股旅の唄」
作詞:塚田茂/作曲:萩原哲晶
「どうせやるなら」
作詞:塚田茂/作曲:萩原哲晶
「おんなのこだもん」
作詞:安井かずみ/作曲:宮川泰

同時上映[編集]

海底軍艦
脚本:関沢新一/特技監督:円谷英二/監督:本多猪四郎/主演:高島忠夫藤山陽子

脚注[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]