麻薬追放国土浄化同盟

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麻薬追放国土浄化同盟(まやくついほうこくどじょうかどうめい)は、1963年4月、山口組田岡一雄らが結成した、麻薬・覚醒剤撲滅を目的とした団体。一般的には、山口組の東京進出を偽装することを目的としたと考えられている。

[編集] 経過

山口組の東京進出はかねてから在京の団体との摩擦を引き起こしていたが、1963年3月、グランドパレス事件が勃発すると、事件を受けて、錦政会(後の稲川会)・稲川裕芳会長(後の稲川聖城)は、右翼活動家・児玉誉士夫の提唱する東亜同友会から脱退した。そこで児玉は、田岡組長と稲川裕芳の仲介を行った。児玉は、田岡に「襲撃に関係した井志組横浜支部組員全員の除名と、山口組井志組井志繁雄組長の断指と、横浜在住の山口組関係者を10人にする」との手打ちの条件を示した。田岡は児玉の条件を受け入れ、和解した。

しかし一方、同年4月、田岡は、右翼活動家の田中清玄麻薬審議会菅原通済会長、参議院議員市川房枝作家山岡荘八評論家劇作家福田恆存らと、麻薬追放国土浄化同盟を結成し、横浜市で結成大会を開いた。同盟の総本部は、兵庫県神戸市中央区橘通の山口組本部に置かれた。また、山口組益田組益田芳夫組長(後の益田佳於)を、麻薬追放国土浄化同盟横浜支部長として、事務所を開設させた(実質的には益田組横浜支部として使われた)。かくて田岡は、児玉が行った山口組と錦政会との手打ちを実質的に反故にした。さらに田岡は、東亜同友会への参加を取り止めた。

このことは、田岡率いる山口組が、児玉の威勢をも無視して東京進出を果たす強い意志と能力があることを内外に見せつける結果となった。

[編集] 参考文献

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