高山廣子

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たかやま ひろこ
高山 廣子
高山 廣子
歌ふ狸御殿』(1942年)出演時、満23歳。
本名 仲上 ヤスエ (なかがみ やすえ、出生名)
上田 ヤスエ (うえだ やすえ、結婚後)
別名 仲上 八洲子 (なかがみ やすこ)
君千代 (きみちよ)
藤原 八洲子 (ふじわら やすこ)
高山 裕子
生年月日 1919年3月25日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 福岡県穂波郡飯塚町(現在の同県飯塚市
職業 女優
ジャンル 劇映画現代劇時代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1927年 - 1965年
配偶者 上田躬荘
家族 仲上萩江 (妹)
主な作品
阿波狸合戦
歌ふ狸御殿

高山 廣子(たかやま ひろこ、1919年3月25日 - 没年不詳)は、日本の女優である[1][2][3][4][5][6]。 新漢字表記高山 広子、旧芸名仲上 八洲子(なかがみ やすこ)、君千代(きみちよ)、藤原 八洲子(ふじわら やすこ)、のちに高山 裕子とも名乗った[1][2][5]。出生名仲上 ヤスエ(なかがみ やすえ)、結婚後本名上田 ヤスエ(うえだ やすえ)[2][5]。『阿波狸合戦』、『歌ふ狸御殿』等の主演女優として知られる[1][2]

人物・来歴[編集]

1919年大正8年)3月25日福岡県穂波郡飯塚町(現在の同県飯塚市)に生まれる[1][2][5]

1927年(昭和2年)、子役として、妹の仲上萩江とともに「仲上 八洲子」の名で、京都の阪東妻三郎プロダクションに入社、映画界にデビューした[1][2][3][4]。一時期、キャバレーの舞踏団に入団して、「君千代」の名で舞踏の舞台に立ったこともあるという[2]。1930年(昭和5年)には、帝国キネマ演芸に移籍している[1]。満12歳になった1931年(昭和6年)8月28日、帝国キネマ演芸が新興キネマに改組されると、同社に継続入社した[1][2][3][4]。同社では「高山 廣子」と改名した[1][2][3][4]。満20歳になった1939年(昭和14年)には、同年4月13日に公開された『阿波狸合戦』(監督寿々喜多呂九平)、同年10月12日に公開された『狸御殿』(監督木村恵吾)に出演し、タヌキのお姫様(お黒)というあたり役を掴んでいく[1][2][3][4]

1942年(昭和17年)1月10日、戦時統制により、同社が日活の製作部門等と合併して大映が設立されると、高山は継続入社して、大映京都撮影所に所属した[1][2][3][4]。同年5月14日に公開された、大映スター総出演による大作『維新の曲』(監督牛原虚彦)では、桂小五郎(のちの木戸孝允)を演じる市川右太衛門の相手役、幾松(のちの木戸松子)を演じ、同年11月5日に公開された『歌ふ狸御殿』(監督木村恵吾)でふたたび「お黒」を演じている[1][2][3][4]

1943年(昭和18年)、上田躬荘と結婚[7][8]、翌1944年(昭和19年)、敗血症により左足首の切断を余儀なくされたという[7]。この件について、大佛次郎は同年11月10日付の日記に「産後の故障にて足が腐り片方を切断するに至る」と、周囲から伝聞した話として記している[9]澤田隆治は、戦後、花菱アチャコと高山が共演する映画のために、京都の祇園にある高山の家に会いに行ったときのことを回想し、「病気か事故か、両脚を切断した」と記述している[10]

第二次世界大戦終結後も、引き続き大映、あるいは東横映画に出演していたが、満32歳を迎える1953年(昭和28年)に松竹京都撮影所に入社、これを機に「高山 裕子」と改名して、脇役に徹した[1][2][3][4]。1965年(昭和40年)1月15日に公開された『いも侍・抜打ち御免』(監督松野宏軌)に出演したのを最後に、満45歳で引退した[1][2][3][4]。以降の消息は不明である。没年不詳

フィルモグラフィ[編集]

すべてクレジットは「出演」である[3][4]。公開日の右側には役名[3][4]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[6][11]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。

初期[編集]

下記の通りであり、特筆以外すべてサイレント映画、特筆以外すべて「仲上八洲子」名義である[3][4]

新興キネマ京都撮影所[編集]

特筆以外すべて製作は「新興キネマ京都撮影所」、配給は「新興キネマ」、特筆以外すべてトーキー、すべて「高山廣子」名義である[3][4]

  • 虚無僧系図 前篇』 : 監督渡辺新太郎サウンド版、1936年8月13日公開 - 腰元音羽・お寿々(二役、大谷日出夫の相手役として主演
  • 虚無僧系図 後篇』 : 監督渡辺新太郎、サウンド版、1936年8月27日公開 - 腰元音羽・お寿々(二役、大谷日出夫の相手役として主演
  • 振袖顔役』 : 監督堀田正彦、サウンド版、1936年10月9日公開 - 仁右衛門の娘おゆう(主演
  • 浪人大将』 : 監督渡辺新太郎、サウンド版、1936年11月7日公開 - お露
  • 哀艶人情双六』 : 監督土肥正幹、サウンド版、1936年11月26日公開 - 遊女お松(尾上栄五郎の相手役として主演
  • 児雷也 前篇 妖雲之巻』 : 監督山内英三、サウンド版、1936年12月31日公開 - 源太郎の妹早苗(大谷日出夫の相手役として主演)、前後篇合計80分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 児雷也 後篇 変幻之巻』 : 監督山内英三、サウンド版、1937年1月5日公開 - 源太郎の妹早苗(大谷日出夫の相手役として主演)、同上[6]
  • 縁結びの三五郎』 : 監督竹久新、1937年1月22日公開 - 三五郎の許婚お滝
  • 佐賀怪猫伝』 : 監督木藤茂、1937年2月3日公開 - 半左衛門の妻お花
  • 岩見重太郎』 : 監督押本七之輔、1937年4月1日公開 - 平左衛門の娘千秋(大谷日出夫の相手役として主演
  • 寺小屋』 : 監督木藤茂、1937年5月5日公開 - 梅王の妻春
  • 本朝七不思議』 : 監督寿々喜多呂九平、1937年5月13日公開 - 狸乙女
  • 幻の白頭巾』 : 監督押本七之輔、1937年5月20日公開 - 公儀女隠密お夏(大谷日出夫の相手役として主演
  • いろは仮名 四谷怪談』 : 監督木藤茂、1937年6月17日公開 - お岩の妹お袖
  • 水戸黄門漫遊記 九紋龍之巻』 : 監督渡辺新太郎、1937年6月24日公開 - 千太郎の妹お浪、女義太夫かなめ(二役、大友柳太郎の相手役として主演
  • 鬼傑白頭巾』 : 監督木藤茂、1937年8月5日公開 - おえん(大谷日出夫の相手役として主演
  • 忍術霧隠才蔵』 : 監督押本七之輔、1937年8月26日公開 - 徳川方の女間諜お和歌(大谷日出夫の相手役として主演
  • 七度び狐』 : 監督木藤茂、1937年9月23日公開 - 女賊ごりかんお隅
  • 猿飛旅日記』 : 監督堀田正彦、1937年10月28日公開 - 秋江(市川男女之助の相手役として主演
  • 有馬猫』 : 監督木藤茂、1937年10月30日公開 - 同奥方千代姫
  • 子育て仁義』 : 監督西原孝、1938年1月10日公開 - お袖(浅香新八郎の相手役として主演
  • 女郎蜘蛛』 : 監督木藤茂、1938年2月3日公開 - 芸妓文字若(市川男女之助の相手役として主演
  • 怪談鴛鴦帳』 : 監督木藤茂、1938年3月30日公開 - 侍女桔梗、78分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 宝の山に入る退屈男』(『寶の山に入る退屈男』) : 監督西原孝、1938年4月14日公開 - 主水之介美男小姓 霧島京弥(市川右太衛門の相手役として主演)、65分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 怪猫五十三次』 : 監督押本七之輔、1938年5月4日公開 - 本多家の中老錦木
  • 妖魔白滝姫』 : 監督木村恵吾、1938年5月31日公開 - 九郎の許婚夕凪
  • 歌吉行燈』 : 監督仁科紀彦、1938年6月8日公開 - 染之助
  • 叫ぶ野武士』 : 監督牛原虚彦、1938年6月15日公開 - おえん
  • 地雷火組』 : 監督西原孝、1938年9月8日公開 - 女賊天人お吉
  • 振袖若衆』 : 監督木藤茂、1938年9月8日公開 - 高峰吟之亟(大友柳太郎の相手役として主演)、8分尺の断片が現存(NFC所蔵[6]
  • 赤鞘嵐』 : 監督木村恵吾、1938年10月6日公開 - 水芸師小万(大谷日出夫の相手役として主演
  • 御存じ紫頭巾』 : 監督木藤茂、1938年10月27日公開 - 小唄の師匠お紋(羅門光三郎の相手役として主演)、67分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 怪猫謎の三味線』 : 監督牛原虚彦、1938年11月3日公開 - 文字春の弟子お君、71分尺で現存(NFC所蔵[6]) / 73分尺で現存(マツダ映画社所蔵[11]
  • 烈女競艶録』 : 監督仁科紀彦、1938年11月17日公開 - 高円局
  • 五郎正宗』 : 監督木藤茂、1938年12月15日公開 - その妻お秋(浅香新八郎の相手役として主演
  • 富士川の血煙』 : 監督押本七之輔、1939年1月7日公開 - おりん
  • 伊達大評定』 : 監督仁科紀彦、1939年1月14日公開 - 八汐
  • 元禄女大名』 : 監督木村恵吾、1939年2月1日公開 - 弥兵衛の娘八重(大友柳太郎の相手役として主演)、42分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 次郎長裸道中』 : 監督押本七之輔、1939年3月8日公開 - 芸者お蔦、67分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 阿波狸合戦』 : 監督寿々喜多呂九平、1939年4月13日公開 - 六右衛門の娘鹿の子姫
  • 佐渡おけさ』 : 監督木村恵吾、1939年5月1日公開 - 伝右衛門の娘おけさ(大友柳太郎の相手役として主演
  • 女性開眼』 : 監督沼波功雄、製作新興キネマ東京撮影所、1939年6月1日公開 - 円城寺礼子(主演
  • 国定忠治一家』 : 監督西原孝、1939年7月6日公開 - その女房お品(浅香新八郎の相手役として主演
  • 姫君大納言』 : 監督木村恵吾、1939年9月14日公開 - 旗本山口家の娘浪路(大友柳太郎の相手役として主演
  • 狸御殿』 : 監督木村恵吾、1939年10月12日公開 - 狸御殿の主人きぬた姫・お黒(二役、主演
  • 娘義太夫』 : 監督野淵昶、1939年12月12日公開 - 娘義太夫豊竹小仙(主演
  • 女百万石』 : 監督西原孝、1939年12月30日公開 - 腰元松ケ枝
  • 旗岡巡査』 : 監督牛原虚彦、1940年2月28日公開 - お松(市川右太衛門の相手役として主演
  • 浮世絵日傘』 : 監督木村恵吾、1940年3月7日公開 - 芸者おえん(主演
  • 秋葉の火祭』 : 監督西原孝、1940年6月13日公開 - その女房お蝶(市川右太衛門の相手役として主演)、64分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 親子鳥』 : 監督森一生、1940年6月23日公開 - 水茶屋の女お浜
  • 女馬子唄』 : 監督渡辺新太郎、1940年8月14日公開 - 女馬子おとき(大友柳太郎の相手役として主演
  • 国姓爺合戦』 : 監督木村恵吾、1940年11月19日公開 - 彩花(市川右太衛門の相手役として主演
  • 花嫁穏密』 : 監督仁科紀彦、1941年1月4日公開 - 相模守の娘お綾(大友柳太郎の相手役として主演
  • 罪なき町』 : 監督森一生、1941年1月30日公開 - 太兵衛の娘お民
  • 明け行く土』 : 監督寺門静吉、1941年3月9日公開 - その女房おのぶ(羅門光三郎の相手役として主演
  • 雲雀は空に』 : 監督牛原虚彦、1941年4月29日公開 - 柳橋の芸者お金(市川右太衛門の相手役として主演
  • 花嫁剣法』 : 監督神脇満(寿々喜多呂九平)、1941年9月18日公開 - 笹枝(大友柳太郎の相手役として主演
  • 直参風流男』 : 監督押本七之輔、1941年12月30日公開 - その娘琴枝、36分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • 不知火乙女』 : 監督仁科紀彦、1942年2月15日公開 - 白縫(大友柳太郎の相手役として主演

大映京都撮影所[編集]

維新の曲』(1942年)出演時、満23歳。
『維新の曲』で幾松(木戸松子)を演じる。左は市川右太衛門桂小五郎)。
歌ふ狸御殿』(1942年)出演時、満23歳。右は宮城千賀子
千石纒』(1950年)公開時のポスター。

特筆以外すべて製作は「大映京都撮影所」、特筆以外すべて配給は「映画配給社」、以降すべてトーキー、すべて「高山廣子」名義である[3][4][5]

松竹京都撮影所[編集]

特筆以外すべて製作は「松竹京都撮影所」、特筆以外すべて配給は「松竹」、すべて「高山裕子」名義である[3][4][5]

  • 南国太平記 前篇』 : 監督渡辺邦男、製作東映京都撮影所、配給東映、1954年1月15日公開 - 老女梅野
  • 続南国太平記 薩南の嵐』 : 監督渡辺邦男、製作東映京都撮影所、配給東映、1954年2月3日公開 - 老女梅野
  • 若旦那武勇伝』 : 監督芦原正、1954年5月5日公開 - 夫人
  • 鳴門秘帖 前篇』 : 監督渡辺邦男、製作東映京都撮影所、配給東映、1954年5月10日公開 - 川長のお内儀
  • 此村大吉』 : 監督マキノ雅弘、製作大映京都撮影所、配給大映、1954年9月1日公開 - 中臈、94分尺で現存(NFC所蔵[6]
  • お坊主天狗 前篇』 : 監督渡辺邦男、製作東映京都撮影所、配給東映、1954年9月21日公開 - 阪東染八
  • お坊主天狗 後篇』 : 監督渡辺邦男、製作東映京都撮影所、配給東映、1954年10月12日公開 - 阪東染八
  • 変化大名 前・後篇』 : 監督佐々木康、製作東映京都撮影所、配給東映、1954年11月1日公開 - お楽の方
  • 獄門帳』 : 監督大曾根辰夫、1955年6月21日公開 - おなか、131分尺で現存(NFC所蔵[6]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 盛内[1994]、p.55-56.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 高山広子jlogos.com, エア、2013年2月26日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 高山廣子仲上八洲子藤原八洲子高山裕子日本映画データベース、2013年2月26日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 高山廣子高山広子仲上八洲子高山裕子、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月26日閲覧。
  5. ^ a b c d e f 高山廣子高山裕子KINENOTE、2013年2月26日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 高山廣子東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月26日閲覧。
  7. ^ a b 文藝春秋[1990], p.264.
  8. ^ 鈴木[1990], p.32.
  9. ^ 大佛[1995], p.72.
  10. ^ 澤田[2002], p.127.
  11. ^ a b 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年2月26日閲覧。
  12. ^ 維新の曲、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月26日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]