立川左談次
立川 左談次(たてかわ さだんじ、1950年12月2日 - )は落語家。本名、山岡 通之。東京都調布市出身。落語立川流所属。出囃子は『あの町この町』。
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[編集] 経歴
- 1968年4月7代目立川談志に入門し、前座名立川談奈を名乗る。当時は落語協会所属。同年、談志出演の映画『昭和元禄ハレンチ節』にワンシーンながら出演。
- 1973年9月二つ目に昇進し、立川左談次に改名。
- 1982年12月真打昇進。
- 1983年談志の落語協会脱会及び落語立川流の創設に伴い、落語立川流所属となる。
[編集] 逸話
江戸っ子らしいキレのいい口調とひょうげた調子の芸風で客席の笑いを取る、正統な江戸落語家。但し、時折噺のネタの枝葉を平気で切り落とし、さっさと楽屋へ引き上げることも有名である。
噺家になった理由を「朝寝坊ができるから」と述べているが、これは決して嘯いているわけではなく、入門直後に談志の映画撮影のために毎日朝8時に撮影所のある大船へ通っていた時の事を、真打になった後に「なぜ早起きしなきゃならなかったんだか」と愚痴を言っている。
前座の立川談奈時代(師匠の立川談志が落語協会を脱会以前)、ある寄席で高座返し等の仕事をしていた時、ある日に色物の「さえずり姉妹」の後に6代目三遊亭圓生の出番のあった時、「さえずり姉妹」の演目後、めくりを返すのを忘れて、そのまま6代目三遊亭圓生の出になってしまって、後で楽屋でこっぴどく怒られた事があるとのこと。
無類の酒好きで、赤ら顔のまま高座に上がることも珍しくない。こういう破天荒なところは師匠である談志に通づるものがある。酒を飲むと酒乱とまでは行かないがやや粗暴になることを同じ落語立川流の前座がよく枕につかっている。
雷門獅篭が談志門下の立川志加吾時代に連載していた漫画『風とマンダラ』において、べらんめぇ調で話す恐い師匠として描かれているが、これはかなり誇張が入っている。
弟子を取ることを嫌い、現在の立川談奈が左談次に弟子入りを希望して日参したが、これを拒んで当時立川流所属であった2代目快楽亭ブラックに押し付けたこともある(快楽亭ブラ談次に)。しかしブラックの立川流除名に伴い、宙に浮いた存在となったブラ談次を結局は弟子にしている。
桂才賀が高座で十八番としている「篠原流踊り」で子役として背負われている関係から落語立川流所属で唯一東京都特別区の寄席に参加している。