田老野球場

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田老野球場
キット、サクラサク野球場

(2017年11月)
施設データ
所在地 岩手県宮古市田老2丁目3番1号
座標 北緯39度44分9秒 東経141度58分16秒 / 北緯39.73583度 東経141.97111度 / 39.73583; 141.97111座標: 北緯39度44分9秒 東経141度58分16秒 / 北緯39.73583度 東経141.97111度 / 39.73583; 141.97111
開場 1982年2016年再開)
所有者 宮古市
管理・運用者 宮古市
グラウンド 内野:土
外野:土
使用チーム • 開催試合
三陸鉄道キットDreams
収容人員
約1,000人
グラウンドデータ
球場規模 グラウンド面積:10,464m2
両翼:92 m
中堅:120 m

田老野球場(たろうやきゅうじょう)は、岩手県宮古市田老にある野球場である。

ネスレ日本ネーミングライツを取得しており、愛称は同社のチョコレートブランド「キットカット」にちなんだ「キット、サクラサク野球場」。

概要[編集]

1982年昭和57年)に開場した。田老は明治三陸地震昭和三陸地震でも津波被害を受けた地域であるが、2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震でも被災し、旧球場はコンクリートのベンチだけを残し全壊した。

旧球場は防潮堤の外側にあったが、新球場は安全性と利便性を考慮して内側に移設された。総事業費は約7億8600万円。費用においては、日刊スポーツ新聞社工藤公康(震災当時は日刊スポーツ専属解説者)・ゴーゴーカレーによる、少年野球教室及びカツカレーライス炊き出しのイベント「東日本大震災復興支援プロジェクト」からの寄付金が入っている[1]

再開[編集]

再開にあたっては、ネスレ日本が実施していた復興支援のためのキャンペーン「キット、ずっとプロジェクト」と連携。2014年11月に設立された、三陸鉄道職員と沿線住民が参加する地域密着型草野球チーム「三陸鉄道キットDreams」のホーム球場とした。

2016年4月23日、球場再開を記念して復旧祭を開催。式典には元プロレスラー天龍源一郎漫画家ゆでたまごの嶋田隆司、茨城ゴールデンゴールズ選手兼監督の片岡安祐美が出席。読売ジャイアンツOBの篠塚和典吉村禎章平岡政樹らが参加するイベント、たけし軍団対キットDreamsの試合が行われた[2][3]

施設[編集]

  • グラウンド面積:10,464m2
  • 両翼:92m、中堅:120m
  • 内野:土、外野:土
  • 収容人員:約1,000人
  • 照明設備:あり(LEDタイプ4基)
  • バックネット、ダグアウト、ベンチ、シャワー、更衣室、簡易電光掲示板

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ このため、入場口付近に3者の連名および「あきらめない心スタジアム」と記されたネームプレートが掲示されている。なお「あきらめない心スタジアム」の名前は建物の正式なネーミングライツの対象外であり、サブネーミングとしている。日刊スポーツ・工藤・ゴーゴーカレーの3者は陸前高田市の旧小友中学校跡地の「小友グラウンド」を野球場として整備した際にも同様の寄付を行っており、サブネーミングとして「あきらめない心スタジアム」の名前を寄付している。
  2. ^ 三陸鉄道、岩手県宮古市、ネスレ/田老野球場復旧祭にスペシャルゲスト”. 流通ニュース. 2019年1月19日閲覧。
  3. ^ 新田老野球場”. iBC岩手放送. 2019年1月19日閲覧。
  4. ^ キット、ずっとプロジェクト”. 三陸鉄道キットDreams. 2019年1月19日閲覧。

外部リンク[編集]