瑞龍寺 (静岡市)

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瑞龍寺
所在地 静岡県静岡市葵区井宮町48番地
位置 北緯34度59分6.0秒 東経138度22分25.0秒 / 北緯34.985000度 東経138.373611度 / 34.985000; 138.373611座標: 北緯34度59分6.0秒 東経138度22分25.0秒 / 北緯34.985000度 東経138.373611度 / 34.985000; 138.373611
山号 泰雲山
宗派 曹洞宗
寺格 駿河七ヶ寺
創建年 永禄3年(1560年
開山 能屋梵藝(のうおくぼんげい)
正式名 泰雲山瑞龍寺、泰雲山瑞龍禪寺[1]
公式サイト 瑞龍寺
法人番号 4080005000364 ウィキデータを編集
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地図
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境内の墓地の一角にある朝日姫の墓(2022年3月撮影)。

瑞龍寺(ずいりゅうじ)は、静岡県静岡市葵区井宮町[2]にある曹洞宗寺院山号は泰雲山。賤機山の西麓に位置する[3]

歴史[編集]

1560年永禄3年)、能屋梵藝によって開山された。その後、徳川家康が居城を駿府城に定めた際に寺領が与えられている[4]

当寺には朝日姫(旭姫)が数度にわたり参詣しており墓所もある[5]。朝日姫は豊臣秀吉の妹である。家康に嫁いだ後に駿府に移り、「駿河御前」と称された。しかし大政所の病気見舞いのため上洛し、自らも病に倒れ、そのまま亡くなってしまった。東福寺京都府京都市東山区)に葬られたが、同寺より遺骨を分骨してもらい、当寺にも葬られた。この瑞龍寺の墓を建立した人物については、秀吉によるという説と家康によるという説がある[3][5]。秀吉は小田原合戦の帰途に立ち寄って、妹の菩提を弔ったという[6]

朝日姫にゆかりがあると伝わる資料5点が、2023年(令和5年)度に「瑞龍寺関係資料一括」として静岡市指定文化財に指定された[5][7]

文化財[編集]

  • 瑞龍寺関係資料一括(静岡市指定有形文化財)[5]
    • 桐紋蒔絵膳
    • 桐沢瀉紋立湧模様打敷
    • 釈迦三尊 十六羅漢絵像(三幅一対) - 「瑞龍寺由緒書」によると家康から朝日姫のために奉納された[5]
    • 豊臣秀吉朱印状 - 朝日姫の廟所であることから、秀吉が天正18年(1590年8月22日付で竹木の伐採等を禁止した文書[5]
    • 覚(瑞龍寺由緒書)

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 朝日姫の法号「瑞龍寺殿光室總旭大禪定尼(ずいりゅうじでん・こうしつそうぎょく・だいぜんじょうに)」から。
  2. ^ 駿河国安倍郡安西井宮村
  3. ^ a b 旭姫ってどんな人? 築山殿亡き後の家康正室 兄秀吉により前夫と強制離縁、豊臣と徳川の架け橋に”. 静岡新聞. 2023年9月3日閲覧。
  4. ^ 歴史瑞龍寺
  5. ^ a b c d e f ~令和4年度第3回静岡市文化財保護審議会を開催~静岡市指定有形文化財の指定について答申を受けました。”. 静岡市. 2023年9月3日閲覧。
  6. ^ 静岡県日本史教育研究会 編『静岡県の歴史散歩(歴史散歩22)』山川出版社、2006年、169-170p
  7. ^ 令和5年度静岡市文化財特別公開”. 静岡市. 2023年9月3日閲覧。

参考文献[編集]

  • 静岡県日本史教育研究会 編『静岡県の歴史散歩(歴史散歩22)』山川出版社、2006年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]