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玉祖神社 (八尾市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
玉祖神社

拝殿
所在地 大阪府八尾市神立5丁目5−93
位置 北緯34度38分5.6秒 東経135度39分9.3秒 / 北緯34.634889度 東経135.652583度 / 34.634889; 135.652583 (玉祖神社 (八尾市))座標: 北緯34度38分5.6秒 東経135度39分9.3秒 / 北緯34.634889度 東経135.652583度 / 34.634889; 135.652583 (玉祖神社 (八尾市))
主祭神 天明玉命
社格 式内社(小)
郷社
創建 (伝)和銅3年(710年
本殿の様式 春日造
例祭 7月中頃(夏例祭)、
10月10日(秋例祭)
地図
玉祖神社の位置(大阪府内)
玉祖神社
玉祖神社
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玉祖神社(たまのおやじんじゃ)は、大阪府八尾市神立にある神社式内社で、旧社格郷社。「玉祖明神」・「高安大明神」とも。

八尾市東部・高安地区(恩智地区を除く旧高安郡13ヶ村)の氏神である。

祭神

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歴史

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社伝によると創始は710年(和銅3年)に周防国玉祖神社から分霊を勧請したもので、その際、住吉津から上陸し、恩智神社に泊まった後、現在地に祀られたとされている。この地に玉造部の人々が住んでいたため、その祖神を祀ったものと考えられる。現在の社殿は、1725年(享保10年)の再建とされている。

境内

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本殿(八尾市指定文化財)

参道の石段の脇に大きなクスノキが生えている。1949年(昭和24年)に大阪府の天然記念物に指定されている。同じく参道の石段下の脇には、かつては神宮寺として「薗光寺竹之坊」があったが、明治維新後の神仏分離により廃寺となった[1]

本神社の少し北側を大阪市玉造を起点とする十三街道が通り、かつては交通の要所となっていた。十三街道によって玉祖と玉造がつながり、両者の地名から何らかの関連があったと考えられている[1]。神社すぐ横で、神立茶屋辻付近から大字服部川の神光寺付近まで南北に通る農道(八尾農免道)の新設・拡張工事が行われていたが2010年に竣工している。

祭事

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毎年7月中頃(15日、16日に近い土日)には各地区から布団太鼓が出て祭礼が行われている。2010年(平成22年)には鎮座1300年にあたり、そのための盛大な祭が行われた。

文化財

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重要文化財(国指定)

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  • 木造制札 文治元年十二月日トアリ(古文書)
    玉祖神社の神宮寺に当たる薗光寺(おんこうじ)に掲げられていた制札とされており、1185年(文治元年)12月に北条時政が出した、日本最古の禁制(きんぜい)とされている[2]。八尾市立歴史民俗資料館寄託。1910年(明治43年)4月20日指定[3][4]

大阪府指定文化財

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  • 有形文化財
    • 玉祖神社 木造 男女神像(彫刻) - かつて神体とされた木造の男女神坐像。1965年(昭和40年)に大阪府重要美術品に指定[注釈 1]。1970年(昭和45年)2月20日に大阪府指定有形文化財に指定[5]
  • 天然記念物
    • 玉祖神社のくす - 1970年(昭和45年)2月20日指定[5]

八尾市指定文化財

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  • 有形文化財
    • 玉祖神社本殿(附 棟札)(建造物) - 2016年(平成28年)3月1日指定[5]

その他

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平安時代の歌人の在原業平が使用していたとされる笛や、豊臣秀頼寄進の石灯篭などがある。

現地情報

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所在地
交通アクセス

脚注

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注釈

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  1. ^ 「大阪府古文化紀念物等保存顕彰規則」に基づき指定されたもので、国から重要美術品等ノ保存ニ関スル法律により認定される「重要美術品」とは異なる。

出典

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  1. ^ a b 玉祖神社 - 八尾市文化財情報システム2019年02月10日 閲覧
  2. ^ 玉祖神社 木造制札(もくぞうせいさつ) - 八尾市文化財情報システム2019年02月10日 閲覧
  3. ^ 明治43年4月20日内務省告示第68号
  4. ^ 木造制札〈文治元年十二月日トアリ/〉 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  5. ^ a b c 大阪府内指定文化財一覧表(大阪府ホームページ)の八尾市ファイルより。

参考文献

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  • 八尾の史跡 (八尾市刊行物番号H10-103)

関連項目

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外部リンク

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