牧志

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てんぶす那覇

牧志(まきし)は、沖縄県那覇市の地名。牧志1~3丁目が存在する。郵便番号は900-0013。

地理[編集]

那覇市の中西部に位置し、国際通り、平和通りなどが通る、沖縄でも最も賑やかな地域の一つである。安里壺屋松尾久茂地前島と隣接する。泊港のある前島の真東に位置し、中央には那覇市のメインストリートである国際通りが貫く。国際通りより西が(南から)牧志1丁目、2丁目であり、デパート居酒屋、土産品店が並ぶ。また国際通りより東側が3丁目で、こちらも国際通り沿いは土産品店やホテルなどの観光客向けの施設や店舗が多い一方、「沖縄の台所」と称される牧志公設市場が平和通り内に存在しており、こちらも観光客が多く訪れる。

牧志・安里地区第1種市街地再開発計画[編集]

壺屋やちむん通り(南窯)

なお、安里2丁目や壺屋1丁目と接する側はスプロール現象により不規則に住宅が乱立する地域となっているものの、壺屋寄りの地域では伝統工芸である壺屋焼の窯元が多く存在する「壺屋やちむん通り」の整備などが進んでいる。

歴史[編集]

伝承によると、1451年に建設された長虹堤と呼ばれる海上道路にしばしば追いはぎが出没し、この対策として長虹堤の南側に配置された集落が牧志の始まりとされている。また、1666年康熙5年)に小禄からの移住者があったという記録が残されている[1]

もとは真和志間切に属していたが1903年(明治36年)に那覇区(後の那覇市)へ編入された。昭和初期に県道(後の国際通り)が開通したものの周辺は湿地帯の広がる農村であった。第二次世界大戦後、那覇市中心部はアメリカ軍の管理下にあり一般人の立ち入りが許されなかった一方で、牧志地区には住宅を建てることが許されたため避難民や引き揚げ者が集中し急速に市街地化された[2]。ほどなく闇市が起こり始め、それがやがて国際通りや平和通り、また歓楽街として知られる桜坂が成立した。

施設[編集]

牧志1丁目[編集]

かつて存在した施設
  • ダイナハ→ダイエー(2005年11月20日閉店) ※参考:閉店のリリース
  • 沖縄山形屋(1999年8月31日閉店)→株式会社国際通り活性化→ホテルJALシティ

牧志2丁目[編集]

牧志3丁目[編集]

交通[編集]

モノレール[編集]

バス[編集]

道路[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 那覇市企画部文化振興課編 『那覇市史 通史編第1巻 前近代史』 那覇市役所、1985年
  2. ^ 沖縄風土記刊行会編 『沖縄風土記全集 那覇の今昔』 沖縄図書教材、1969年

外部リンク[編集]