沙田神社

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沙田神社
Isagoda-jinja keidai.JPG
境内(社殿と二の御柱)
所在地 長野県松本市島立三ノ宮3316
位置 北緯36度13分15.76秒
東経137度56分32.79秒
座標: 北緯36度13分15.76秒 東経137度56分32.79秒
主祭神 彦火火見尊
豊玉姫命
沙土煮命
社格 式内社(小)
信濃国三宮
県社
創建 (伝)大化5年(649年
本殿の様式 神明造
例祭 9月27日
主な神事 御柱祭(6年に1度)
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二の鳥居

沙田神社(いさごだじんじゃ)は、長野県松本市島立三ノ宮にある神社式内社信濃国三宮で、旧社格県社神紋は「三階菱」。

祭神[編集]

祭神は以下の3柱[1]

以上の3神は穂高系の神(海神系・天津神系)と見られているが、当社は御柱を建てる諏方神社系の祭祀も行なっている[2]。なお祭神は景行天皇皇子・五十狭城入彦命と伝える説もある[3]

歴史[編集]

創建[編集]

社伝によると、古くは東筑摩郡鷺沢嶽(現・松本市波田鷺沢)に鎮座していたという。そして大化5年(649年)6月28日、信濃国司が勅命を奉じ初めて勧請して創祀した[4]。その後、大同年間(806年-810年)に坂上田村麻呂が有明山の妖賊討伐にあたって、本社の神力が効したとして国司と共に社殿を造営したと伝える[4][注 1]

以上の伝承から、当社は波田から流れ出る梓川の水霊を祀ることに始まったと見られ[5]、鷺沢の旧跡地と伝わる地には当社の奥社が立っている。また、現在の本社は梓川の水を引き入れた古代条里的遺構の上にあり、当地開発当初からの古社であるとも推定されている[5]。境内からは土器・石器のほか、古墳時代の鉄鍬、中世・近世の薙鎌が出土し、神宝とされている[2]

概史[編集]

社伝によると、仁寿元年(851年)に勅評によって社の造営があり、仁寿3年(853年)には二条大納言有季を勅使として神位を賜ったともいう[4]

平安時代中期の『延喜式神名帳』には「信濃国筑摩郡 沙田神社」と記載され、式内社に列している。なお、『日本三代実録貞観9年(867年)3月11日条に載る「梓水神」を当社にあてる説もある[2]

鎌倉時代後期には、元亨1321年-1323年)から正中1324年-1325年)の戦火により社殿が焼失し、本社のみ残ったという[4]。その後、島立右近が松本城を築くとともに、その産土神として当社を補修した[5]。松本城主は代々当社を裏鬼門除けとして重視し、神領を寄進した[5]。当社が松本城に向かって東面しているのは、その鎮護のためとされる[2]

また、当社は信濃国三宮と見られ古くから「三の宮」と呼ばれていたという[5]。現在も地元には「産の宮」の呼称があり、安産の神としても崇められている[5]。なお、安曇野市穂高神社も三宮とされている。

明治5年(1872年)に近代社格制度において郷社に列し、明治34年(1901年)には県社に昇格した[4]。明治40年(1907年)には神饌幣帛料供進社に指定された[4]

境内[編集]

摂末社[編集]

奥社[編集]

奥社は、松本市波田鷺沢に鎮座する。梓川上流の沢の1つを登った地に石祠として立っている。鷺沢嶽には「斎殿石(さいでんせき)」という巨岩があるという[5]。なお、御柱祭の見立ては古くは鷺沢山で行なっていたといわれるが、現在は波田の山林で行なわれている[5]

境内社[編集]

  • 子安社など

祭事[編集]

式年祭[編集]

  • 式年御柱祭 (6年に1度、卯年と酉年)[6]
    • 山出式 (4月中の酉の日)
    • 曳廻 (例祭当日)

6年に1度、例大祭に合わせて行われる。4本の御柱を波田の山から伐り出して、国道158号を曳き出す。松本平の他の御柱祭と異なり、諏訪大社の形式で行われる。昔から「人を見るなら一之宮(諏訪大社)、綺羅を見るなら二之宮(小野神社)、衣装見るなら三之宮」と言われ、各柱毎に衣装を凝らしてある。松本市から無形民俗文化財に指定されている。

年間祭事[編集]

  • 歳旦祭 (1月1日)
  • 交通安全祈願祭 (1月3日)
  • 竈神祭 (1月20日)
  • 祈年祭 (5月3日)
  • 大祓 (6月30日)
  • 風神祭 (9月27日)
  • 例大祭 (9月26日-27日)
    • 前夜祭 (9月26日)
    • 本祭 (9月27日)
  • 七五三祈願祭 (11月15日)
  • 新穀祈願祭 (11月23日)
  • 大祓祭 (12月30日)

文化財[編集]

松本市指定重要無形民俗文化財[編集]

  • 島立沙田神社の御柱祭り - 平成12年6月30日指定。

現地情報[編集]

所在地
交通アクセス

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 明治期の村誌では、坂上田村麻呂ではなく鎮守府将軍・藤原朝臣利仁としている(『日本の神々』沙田神社項より)。
出典
  1. ^ 祭神は境内説明板による。
  2. ^ a b c d 『長野県の地名』沙田神社項。
  3. ^ 『東筑摩郡誌』による(『長野県の地名』沙田神社項より)。
  4. ^ a b c d e f 境内説明板。
  5. ^ a b c d e f g h 『日本の神々』沙田神社項。
  6. ^ 祭事は境内説明板による。

参考文献[編集]

  • 境内説明板
  • 『日本歴史地名体系 長野県の地名』(平凡社)松本市 沙田神社項
  • 小松芳郎「沙田神社」(谷川健一 編『日本の神々 -神社と聖地- 9 美濃・飛騨・信濃』(白水社))

外部リンク[編集]