板橋区 (新北市)
| 別称: 擺接社・枋橋 | |
| 地理 | |
|---|---|
| 位置 | 北緯25°01" 東経121°21" |
| 面積: | 23.1607 km² |
| 各種表記 | |
| 繁体字: | 板橋區 |
| 日本語読み: | いたはし |
| 漢語拼音: | Bănqiáo |
| 通用拼音: | Bănciáo |
| 注音符号: | ㄅㄢˇ ㄑㄧㄠˊ |
| 片仮名転写: | バンチャオ |
| 行政 | |
| 行政区分: | 市轄区 |
| 上位行政区画: | 新北市 |
| 下位行政区画: | 126里2,464鄰 |
| 政府所在地: | 新北市板橋区府中路30号 |
| 板橋区長: | 林純秀 |
| 公式サイト: | 板橋区公所 |
| 情報 | |
| 総人口: | 554,398 人(2010年9月) |
| 戸数: | 194,222 戸(2010年9月) |
| 郵便番号: | 220 |
| 市外局番: | 02 |
板橋区(ばんきょう/いたはし-く[1])は台湾新北市中西部に位置する市轄区。台北市の衛星都市として発展している。
目次 |
[編集] 歴史
板橋は古くは擺接と称した。これはこの地区に居住していたケタガラン族が建てた武朥湾社に隣接する擺接社に由来する。後に閩南語で近い発音の枋橋に置き換えられた。現在でも台湾語では板橋のことを枋橋(pang-kiô)と称している。更に日本統治時代の大正九年の地方制度改革とともに枋を略字の板に変え[2]、発音も日本風の「いたはし」と正式に変更されたが[1]、戦後は漢音による発音も使用され、NHKのニュース番組では「ばんきょう」と読まれている。
また別の地名由来の説もある。昔この地に河があり、住民の交通に不便を来たしていたのだが、そこに望族林本源家木が私財を投じ木橋を建設し、それにより板橋という説もある。この木橋は現在の留侯里、流芳里付近に位置していたが、現在はその位置に橋は伝わっていない。
雍正年間より漢人が進出し、乾隆年間には廖啓樁、林成祖らによる開拓が進み、「擺接堡」が設けられた。管轄は現在の板橋区のほか、中和区、土城区及び新荘区西部一帯であった。
日本統治時代になると鉄道が板橋に敷設され、板橋の都市としての発展の基礎が築かれた。1945年に中華民国に領有されると、外省人が多く流入し、1960年代の経済発展を経て現在に至っている。
[編集] 経済
[編集] 行政区
| 区名 | 里数 | 里名称 |
|---|---|---|
| 分区一 | 23 |
留侯里 | 流芳里 | 赤松里 | 黄石里 | 挹秀里 | 湳興里 | 新興里 | 社後里 | 香社里 | 香雅里 |
| 分区二 | 38 |
漢生里 | 公館里 | 新民里 | 幸福里 | 文徳里 | 忠誠里 | 陽明里 | 百寿里 | 介寿里 | 新埔里 |
| 分区三 | 27 |
港嘴里 | 振興里 | 振義里 | 光復里 | 埔墘里 | 富貴里 | 長寿里 | 福寿里 | 居仁里 | 海山里 |
| 分区四 | 21 |
福禄里 | 民族里 | 国泰里 | 後埔里 | 福徳里 | 景星里 | 福星里 | 郷雲里 | 広徳里 | 大豊里 |
| 分区五 | 11 |
浮洲里 | 華中里 | 僑中里 | 大観里 | 歓園里 | 中山里 | 復興里 | 大安里 |福安里 | 聚安里 |
| 分区六 | 6 |
崑崙里 | 成和里 | 渓洲里 | 渓福里 | 渓北里 | 堂春里 |
[編集] 歴代市長
| 代 | 氏名 | 政党 | 任期 |
|---|---|---|---|
| 第4代 | 呉清池 | - | - |
| 第5代 | 呉清池 | - | - |
| 第6代 | 林鴻池 | - | - |
| 第7代 | 林鴻池 | - | - |
| 代理 | 張宏陸 | - | - |
| 代理 | 廖栄清 | - | - |
| 第8代 | 江恵貞 | - | - |
[編集] 教育
[編集] 大学
[編集] 技術学院
[編集] 高級中学
[編集] 高級職校
[編集] 国民中学
[編集] 国民小学
[編集] 交通
| 種別 | 路線名称 | その他 |
|---|---|---|
| 捷運 | 板橋線 | 江子翠駅 新埔駅 板橋駅 府中駅 |
| 捷運 | 環状線 | 2013年開通予定 |
| 鉄道 | 縦貫線 | 板橋駅 |
| 鉄道 | 台湾高速鉄道 | 板橋駅 |
| 国道 | 国道3号 福高 | |
| 省道 | 台64線 | 八里区 - 新店区 |
[編集] 観光
[編集] 出典
- ^ a b 「州、廳ノ位置、管轄區域及郡市ノ名稱、位置、管轄區域」大正九年八月十日、臺灣總督府令第四十七號
- ^ 水越幸一 「市郡の區域稱呼其所在地並街庄の稱呼等に就て」『臺灣時報』第十六號、大正九年、一四一頁。
[編集] 関連項目
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