十二使君の乱

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ベトナムの歴史
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十二使君の乱(じゅうにしくんのらん)は、呉朝の王である呉昌文の死去によって起こった965年から967年にかけての内乱、またはその時代のことである。呉朝に使えた将軍丁公著の遺児であり、独立勢力を築いていた丁部領(ディン・ボ・リン)によって国土は再統一された。

十二人の群雄[編集]

このような状況の中で、華閭(ニンビン省)において、後に丁朝を創建する丁部領が出現するのである。

鎮定までの経緯[編集]

丁部領は、当初は陳覧に従い後継者の地位を得、陳覧の死後には勢力を吸収した[1]。のちに范白虎を味方につけ、他の使君たちを討伐していった。民衆の支持のもと、連戦連勝ゆえに万勝王と尊敬された丁部領の前に、使君は次々に討伐され、投降していった。967年に国内は統一された。

その後[編集]

968年に丁部領は皇帝に即位し(丁先皇:ディン・ティエン・ホアン)国名を大瞿越(大きな越の国)とし、華閭(ホアルー)に都を置いた。

参考文献[編集]

  • ファン・ゴク・リエン監修『ベトナムの歴史 ベトナム中学校歴史教科書』《世界の教科書シリーズ21》明石書店、2008年。
    • ^ 小倉貞夫 『物語ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』 中公新書、64頁。ISBN 4-12-101372-7