丁部領
| 丁先皇 丁先皇 / Đinh Tiên Hoàng |
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| 大瞿越皇帝、大勝明皇帝 | |
ホアルー(華閭)の丁先皇像
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| 先代 | なし |
| 次代 | 丁廃帝 |
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| 出生 | 924年 |
| 死亡 | 979年 |
| 埋葬 | 華閭山陵 |
| 実名 | 丁環 / Đinh Hoàn |
| 変名 | 丁部領 / Đinh Bộ Lĩnh |
| 諡号 | 先皇帝 |
| 年号 | 太平 970年 - 979年 |
| 父親 | 丁公著 |
| 母親 | 譚氏 |
| 配偶者 | 楊雲娥 |
| 子女 丁璉、丁璿、丁項郎 |
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丁部領(ディン・ボ・リン、Đinh Bộ Lĩnh、924年 - 979年)は、ベトナム丁朝の建国者。後世には丁先皇(ディン・ティエン・ホアン、Đinh Tiên Hoàng)と尊称された。
丁部領のもとの名は丁桓(ディン・ホアン、Đinh Hoàn)といい、その父の丁公著は、北ベトナムの楊廷芸の政権の下で将軍となった。丁部領は、父の地盤を継いで、華閭洞を支配した。951年、呉朝の呉昌岌・呉昌文は、丁部領の根拠地の華閭洞を包囲したが、落とすことができなかった。
その後、丁部領は叔父の丁預を討伐して帰順させ、勢力を強めた。ときに十二使君の乱によってベトナム豪族の地方割拠が進んだが、十二使君のひとりの陳覧と協力し、陳覧の死後にはその跡を継いだ。また使君のひとりの呉日慶を降伏させたのち、その母をめとって妻とし、また娘を呉日慶にとつがせた。息子の丁璉には呉日慶の妹をめとった。また平橋路上に進軍して、呉朝の後裔の呉昌熾を宴会に誘って脅し、屈服させた。また十二使君の杜景碩・阮超とは、長年にわたって争った。杜景碩を包囲し、杜景碩は流れ矢に当たって戦死したため、杜氏の兵を降した。阮超はもっとも頑強であったが、阮超の軍の渡河中に、突風が起こって、軍船や軍の物資はすべて水中に沈んだ。丁部領はこれを知って、十人の勇士を潜入させて阮超の陣営を焼き、阮超軍を大いに破った。そののち、矯順・阮守捷・阮寛・呂唐らの使君を各個撃破して、北ベトナムを統一した。
968年、推されて交州帥となり、大勝王を号した。大瞿越国を建国し、華閭に都を置いた。979年、子の丁璉とともに侍衛の杜釈のために刺殺された。
2011年8月にロシアから購入したミサイル駆逐艦が、ベトナムを中国から防衛した二大皇帝の名にちなんでLy Thai To (李太祖)、Dinh Tien Hoang (丁先皇)と命名された。