井口俊英
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いぐち としひで
井口 俊英 |
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| 生誕 | 1951年 (61–62歳) |
| 出身校 | 神戸市立葺合高等学校 サウスウェスト・ミズーリ州立大学 (現在のミズーリ州立大学) |
| 職業 | 小説家 元・銀行員 |
| 配偶者 | あり(元・大和銀行のニューヨーク支店行員) |
井口 俊英(いぐち としひで、1951年 - )は、旧大和銀行ニューヨーク支店行員であり、小説家である。
同支店での米国債取引の第一人者であり、大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件(1995年(平成7年)発覚)の中心人物。当時のウォール街ではトゥシの愛称で知られるトレーダーだった。
目次 |
経歴 [編集]
生い立ち [編集]
1951年(昭和26年)、兵庫県神戸市生まれ。神戸市立葺合高等学校を卒業した1969年(昭和44年)、アメリカ駐在のビジネスマンだった父親に呼び出されてニューヨークへ渡った。
ニューヨーク大学で行われていた外国人のための英語クラスに通うなどした後、翌年2月、サウスウェスト・ミズーリ州立大学(ミズーリ州・スプリングフィールド)に入学した。父からの仕送りは学費のみに限られていたため、皿洗い、ウェイター、食肉処理場の夜警等、週に30時間もの様々なアルバイトを強いられた。4回生になるとチアリーダの一員として、ミズーリ州内各地の大学を巡って活動した。
在学中の1974年(昭和49年)、セントルイス出身の米国人女性と結婚し、マツダ自動車の販売員やシボレーのトラックの販売員などを経験した。1975年(昭和50年)、残りの必修科目を終了して同学を卒業した。
大和銀行 [編集]
詳細は「大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件」を参照
翌1976年(昭和51年)1月6日、父の紹介で大和銀行ニューヨーク支店に嘱託として採用された。証券保管(カストディ)係を経験した後、翌年には係主任となり証券運用を担当する。
1983年(昭和58年)、変動金利債の取引で損失を出したことをきっかけとして、無断取引を行うようになる。同年秋にはニューヨークの大手行シティバンクから、年俸15万ドルで営業副社長のポストへのオファーが来るが、米国債簿外取引の損失はこの時点で数百万ドルにも達していたため身動きがとれず断念する。 1984年には5万ドルを証券会社の本人名義の口座に送金し、着服。
1988年(昭和63年)1月、52万ドルを他人名義の借名口座に送金し着服。 その後も無断取引を繰り返し、巨額の損失を簿外に隠蔽。しかし、三度の内部検査、日本の国税庁や大蔵省、ニューヨーク連邦準備銀行等の検査ではいずれも発覚しなかった。
事件の発覚 [編集]
1995年(平成7年)7月17日、藤田彬頭取に対し、無断取引と損失の隠蔽を告白した書状を送付。 9月23日、11億ドル(当時の価値で約960億円)の売買損を隠蔽した容疑でFBIに逮捕される。
1996年(平成8年)12月16日、ニューヨーク連邦地裁において、禁固4年・罰金200万ドルの実刑判決を言い渡される。ニューヨーク連邦拘置所(MCC - en:Metropolitan Correctional Center, New York City)に約1年3ヵ月収監(この間に初稿の「告白」を執筆)。1997年1月から、経済犯など凶暴性が低い囚人を対象とする警戒レベルの低いアレンウッド連邦刑務所(FCC - en:Federal Correctional Complex)に約2年間服役。1998年(平成10年)11月に仮出所。
後年 [編集]
1999年(平成11年)、大和銀行ニューヨーク支店行員だった明美と再婚。現在、ジョージア州アトランタに在住。