丸正事件
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丸正事件(まるしょうじけん)は1955年に静岡県で発生した殺人事件。冤罪の疑いがあるといわれている。
[編集] 概要
1955年5月11日から翌12日朝の間に、静岡県三島市にある丸正運送店の女性店主が絞殺され預金通帳が無くなっていた。この事件の犯人として、同年5月29日に沼津市の大一トラックの運転手である李得賢、翌日に鈴木一男が逮捕され、強盗殺人罪で起訴された。
李得賢は事件について終始関与を否定、鈴木一男は一度自白をしたものの、それは拷問によるものだとして、その後は一貫して否定した。
検察側は女性店主を絞殺時に使った手拭いが李得賢のものであることや、丸正運送店の近くに大一トラックが停まっていたというタクシー運転手の証言を証拠とした。
しかし、この手拭いは大一トラックが昭和29年、30年に年賀用として配られた手拭であった。それゆえ、証拠としての信憑性は薄かった。さらに犯行当日、丸正運送店の近くに大一トラックが停まっていたというタクシー運転手の証言も二転三転し、運転手と一緒にいたとされる者が目撃自体を否定した。また、盗まれたとされた預金通帳は事件からおよそ六ヵ月後に被害者の実家から実印とともに発見された。しかし、裁判ではこれらの件には不問であった。
2人が犯人として逮捕されたきっかけは、運転していたトラックが東京にたどり着くのが遅かったという事実だけであった。犯行当日、李は非番だったが、当日は顧客からの荷物運送の依頼が多く、会社の要請で李も一社員として引き受けた。
李達のトラックが東京に向けて沼津を出発した15分後に同じ会社のトラック2台が同じく東京に向けて出発した。ところが先に東京に到着したのが、後続の2台のトラックだった。それから遅れて15分後に李のトラックが到着した。捜査本部は、後続の2台のトラックより到着が遅れたことに不審を抱いた。これが捜査線上に浮上。それに対し、2人の証言は、荷物を満載したトラックゆえエンジンの調子が悪く、オイル切れをしたために国道1号線の箱根峠で注油するのに15分かかり、その間に後続の2台のトラックに追い越されたのだとあくまで主張した。
1957年、第一審で李得賢には無期懲役、鈴木一男には懲役15年の判決が下される。第二審への控訴は棄却、最高裁への上告も棄却された。その後、1974年4月25日、鈴木一男は満期出所、1977年6月17日には李得賢も仮釈放された。
二人の出所後、再審請求が行われたが棄却、即時抗告も行われたが棄却、さらに特別抗告が行われているが、1989年1月2日に李得賢が死去、その3年後の1992年12月27日に鈴木一男も死去。被告死亡による公訴棄却となり、真相は闇の中である。
この事件では被害者の死亡時刻や死亡状況の推定について不備が指摘されており、再審請求に際して提出された被害者に関する新鑑定によれば、被害者の死亡時刻には犯人とされた両名ともにアリバイが存在している。
被告の弁護人が、被害者と遺産相続に関してトラブルのあった同居の親族3人を真犯人と名指しして告発したが、逆に名誉毀損罪で有罪判決を受けた。

