ヨハン・ラッテンフーバー

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ヨハン・ラッテンフーバーJohann Rattenhuber, 1897年4月30日 - 1957年6月30日)はアドルフ・ヒトラーの個人警護隊 Reichssicherheitsdienst (RSD) の指揮官、親衛隊中将ミュンヘン郊外のオーバーハーヒング生まれ。1920年バイロイト秩序警察に奉職、1933年にバイエルン州警察長官のハインリヒ・ヒムラーの副官となる。同年、ベルリンにてヒトラー首相の個人警護部隊を立ち上げる任務を受け、3月15日にFührerschutzkommando を立ち上げたが、ヒトラーのみならず、ヒトラー政権の要人をも警護することから1935年8月1日に Reichssicherheitsdienst と改名された。

ラッテンフーバーは一貫してヒトラー警護の任務に就き、ベルリンの戦いでヒトラーが自決するまで警護し、1945年5月2日にソ連軍の捕虜となる。1951年11月16日までロシアの捕虜収容所に拘禁され、ヒトラーの最後に関する厳しい尋問を受けた(この時の尋問記録は2000年になって正式に出版された)。

1952年に懲役25年の判決を受けるが、1955年に釈放されて東ドイツに引き渡された。翌1956年西ドイツへの帰国を許され、1957年ミュンヘンで死去。

参考文献[編集]