モデナ (F1)

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モデナ
活動拠点 イタリアの旗 エミリア=ロマーニャ州モデナ県モデナ
創設者 イタリアの旗 カルロ・パトルッコ
スタッフ イタリアの旗 マウロ・フォルギエリ
イギリスの旗 デーヴ・モーガン
参戦年度 1991年
出走回数 16 (6スタート)
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1991年アメリカGP
初勝利
最終勝利
最終戦 1991年オーストラリアGP
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モデナModena)は、1991年F1に参戦していたレーシングチームである。本拠地はイタリアエミリア=ロマーニャ州モデナに置かれた[1]ランボランボルギーニモデナ・ランボとも呼ばれる。

歴史[編集]

F1計画の原点は、メキシコ初のF1チーム参戦を計画したメキシコ人実業家フェルナンド・ゴンザレス・ルナのグラス(GLAS, Gonzalez Luna Associates[2])チームに、ランボルギーニ社が全面協力してチームのF1参戦を支援するというもので、実際に1991年のF1世界選手権へのエントリーも完了し、参戦のための新マシン「291」のシェイクダウンテストも済んだ1990年7月、中心人物のルナがチーム資金を持ち逃げし失踪するという事態が発生する[3]

ランボルギーニはF1レギュレーションにある「正式エントリー完了後のレース欠場による多額の罰金」を避けるため、イタリア人資産家カルロ・パトルッコと組んでチーム本拠をイタリア・モデナへと移設、1991シーズン開幕直前には日本の土井不動産が資本参加し「Central Park」ブランドでメインスポンサーを務めることも決定[4]しF1実戦へと突入した。

マシンは、マウロ・フォルギエリがすでに設計を済ませていたシャシー「291」にV型12気筒エンジンを搭載。シェイクダウンテストはマウロ・バルディが担当[5]し、開幕前合同テストでは若手のマルコ・アピチェラがテスト走行をしたが[6]、レースドライバーはイタリアの有望株とされF1参戦4年目となるニコラ・ラリーニと、前年の国際F3000選手権で3勝を挙げる活躍を見せたエリック・ヴァン・デ・ポールに決定した。

曲線的に斜めになったサイドポンツーンが特徴的なマシンで、開幕戦のアメリカグランプリではラリーニが入賞一歩手前の7位で完走、第3戦サンマリノグランプリでは、雨天の混乱も味方しファイナルラップまでヴァン・デ・ポールが5位を走行する(ただし、ガス欠で最終的には9位完走扱い)シーンがあり、ラリーニの最高位7位が効き後半戦は予備予選の対象から外れた。

しかし、シーズンを通してチーム成績は低調で、わずか2ヶ月でチームを去ったフォルギエリに変わってナイジェル・コパースウェイトがウイングを変更、最終的には特徴的なサイドポンツーンを廃止したデザインのマシンを投入したが、決勝レースに出たのは2人合わせて6回、ヴァン・デ・ポールに至っては前述のサンマリノGPのみという結果であった。

最終戦の時点でランボルギーニ・エンジンを失うことは決定していたが、1992年に向けて「フェラーリのGTO(ギルフォード・テクニカル・オフィス)を買収する計画があり、そこで新マシン開発を行い、エンジンに関してはフォードのエンジンを供給してもらえるよう交渉している。来季も参戦したい。」と表明していたが[7]、参戦資金不足のためそのままF1から撤退した。

F1における全成績[編集]

(key) (太字ポールポジション

シャシー エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1991年 モデナ・291 ランボルギーニ・L3512 V12 G USA
アメリカ合衆国の旗
BRA
ブラジルの旗
SMR
サンマリノの旗
MON
モナコの旗
CAN
カナダの旗
MEX
メキシコの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
HUN
ハンガリーの旗
BEL
ベルギーの旗
ITA
イタリアの旗
POR
ポルトガルの旗
ESP
スペインの旗
JPN
日本の旗
AUS
オーストラリアの旗
0 NC
イタリアの旗 ニコラ・ラリーニ 7 DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ Ret 16 DNQ 16 DNQ DNQ DNQ Ret
ベルギーの旗 エリック・ヴァン・デ・ポール DNPQ DNPQ 9 DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNPQ DNQ DNQ DNQ DNQ DNQ DNQ DNQ DNQ

出典[編集]

  1. ^ Modena Team Central Park 1991F1日本グランプリ公式プログラム 75頁 株式会社鈴鹿サーキットランド 1991年10月発行
  2. ^ Racing On』 496 [特集] F1最熱狂期 PartIII、三栄書房、2018年、48頁。
  3. ^ どうなる? グラスのF1計画 - 山海堂GPX 1990年イギリスGP号 30頁中段
  4. ^ チーム・モデナに日本企業が資本参加 - 山海堂GPX 1991年プレシーズン号 7頁中段
  5. ^ Mini News グラスF1が初走行 - 山海堂GPX 1990年フランスGP号 31頁下段
  6. ^ エストリル合同テスト - 山海堂GPX 1991年カレンダー号 5頁
  7. ^ チームモデナ撤退の危機 グランプリ・エクスプレス '91オーストラリアGP号 Mini News 31頁 1991年11月23日発行

関連項目[編集]