メメント・モリ

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ミヒャエル・ヴォルゲムート 『死の舞踏』1493年、版画

メメント・モリ: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句。「を記憶せよ」などと訳され、芸術作品のモチーフとして広く使われる。

歴史[編集]

古代ローマでは、「将軍が凱旋のパレードを行なった際に使われた」と伝えられる。将軍の後ろに立つ使用人は、「将軍は今日絶頂にあるが、明日はそうであるかわからない」ということを思い起こさせる役目を担当していた。そこで、使用人は「メメント・モリ」と言うことによって、それを思い起こさせていた。

ただし、古代ではあまり広くは使われなかった。当時、「メメント・モリ」の趣旨は carpe diem今を楽しめ)ということで、「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」というアドバイスであった。ホラティウスの詩には「Nunc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus.」(今は飲むときだ、今は気ままに踊るときだ)とある。

この言葉は、その後のキリスト教世界で違った意味を持つようになった。天国地獄の救済が重要視されることにより、死が意識の前面に出てきたためである。キリスト教的な芸術作品において、「メメント・モリ」はほとんどこの文脈で使用されることになる。キリスト教の文脈では、「メメント・モリ」は nunc est bibendum とは反対の、かなり徳化された意味合いで使われるようになった。キリスト教徒にとっては、死への思いは現世での楽しみ・贅沢・手柄が空虚でむなしいものであることを強調するものであり、来世に思いをはせる誘引となった。

具体例[編集]

墓石
腐敗した死体を表現したは、15世紀にヨーロッパの富裕階級の間で流行した。

トランジ

死の舞踏
死の舞踏』は、「メメント・モリ」の最も知られているテーマで、死神が貧乏人と金持ちを等しく連れ去っており、これはヨーロッパの多くの教会に飾り付けられた。その後の植民地時代のアメリカでも、ピューリタンの墓には翼を持つ頭蓋骨、骸骨、蝋燭を消す天使が描かれている。
静物画
芸術では、「静物画」は以前「ヴァニタス」(: vanitas、「空虚」)と呼ばれていた。静物画を描く際には、なにかしら死を連想させるシンボルを描くべきだと考えられていたからである。明らかに死を意味する骸骨(頭蓋骨)や、より繊細な表現としては花びらが落ちつつある花などが、よくシンボルとして使用されていた。
写真
写真が発明されると、親族の死体の写真を写真で記録することが流行した。
時計
時計は、「現世での時間がどんどん少なくなっていくことを示すもの」と考えられていた。公共の時計には、 ultima forsan(ことによると、最後〈の時間〉)や vulnerant omnes,ultima necat(みな傷つけられ、最後は殺される)という銘が打たれていた。現代では tempus fugit(光陰矢のごとし)の銘が打たれることが多い。ドイツアウクスブルクにある有名なからくり時計は、「死神が時を打つ」というものである。スコットランド女王メアリーは、銀の頭蓋骨が彫られ、ホラティウスの詩の一文で飾られた、大きな腕時計を持っていた。
文学作品
イギリスの作品では、トーマス・ブラウンの『Hydriotaphia, Urn Burial』とジェレミー・テイラーの『聖なる生、及び聖なる死』がある。また、トーマス・グレーの『Elegy in a Country Churchyard』やエドワード・ヤングの『Night Thoughts』も、このテーマを扱っている。
映像作品

脚注[編集]