マンテル大尉事件

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マンテル大尉事件(マンテルたいいじけん、Mantell Incident)は、1948年1月8日(現地時間では1月7日の午後)にアメリカ合衆国ケンタッキー州にて発生した未確認飛行物体 (UFO) 目撃とそれに伴って起こったアメリカ空軍機の墜落事件。

事件の概要[編集]

銀色の未確認飛行物体[編集]

ノースアメリカンP-51

1月7日の朝より続発していたゴドマン市民とケンタッキー州警察からの未確認飛行物体の目撃通報により、アメリカ合衆国空軍のゴドマン基地は、同基地に所属する戦闘機、ノースアメリカンP-51で付近を飛行中のトーマス・F・マンテル大尉率いる4機に対して未確認飛行物体の追跡を指令した。また、これと前後して、直径100メートル近くの大きさで、上部が点滅している銀色の未確認飛行物体がゴドマン基地上空に飛来し、基地管制塔などからも観測された。

墜落[編集]

この後他の3機は、燃料不足のため追跡を断念したが、追跡を継続していたマンテル大尉は、上昇していく未確認飛行物体を確認し司令部に「未確認飛行物体は上空を飛行中で、さらに上昇を続けている」、「高度7,000(フィート)までに追いつかなければ、追跡を断念する」と報告し、さらに、「飛行物体の中に何人かの人が見える」との連絡を取った(これは後に虚報と判明)のを最後に消息を絶つ。数時間後にマンテル大尉は、広範囲に散らばった機体の残骸と共に遺体で発見された。

墜落原因[編集]

海上から放出されるスカイフック気球(1949年)

その後、この事件は全米のマスコミに報じられた。アメリカ空軍当局は当初、「金星を未確認飛行物体と誤認して高高度に飛行し、酸欠状態に陥って意識を失い墜落したものと考えられる(マンテル大尉が酸欠に陥って意識が朦朧となっていくさまは、機上との交信内容で判明している)」と発表し、さらにその1年後には「海軍がテスト飛行させていたスカイフック気球を誤認した」と説明を変えた。スカイフック計画は海軍の秘密計画だったため、空軍に情報が渡るまで1年かかったためであった。

最終的に空軍は、マンテル大尉が当時UFOとよく誤認されたスカイフック気球を追跡して死亡したのだろうと発表した。スカイフック事前の未確認飛行物体目撃情報も、総合すれば気球の形の特徴に一致していたし、それとは別に金星の見間違いと思われる通報もあった。なお、当日早朝に近隣のミネソタ州リプリー基地からスカイフック気球が打ち上げられ、事件後の当日午後4時にケンタッキー州でスカイフック気球が目撃されている(当日の風や気象の条件からみて、マンテル大尉が目撃した「物体」と同一)。

アメリカ空軍UFO調査機関[編集]

この事件における未確認飛行物体(超常現象を報道するマスコミの用語。地球外文明の宇宙船を意味し、アメリカ空軍用語の「UFO」ではない)との関連性が公式には否定されたにもかかわらず、この事件直後に正式に発足したアメリカ空軍内の未確認飛行物体調査機関(この場合の「UFO」とはアメリカ空軍の用語。仮想敵国の偵察機、戦闘機、ミサイルなど確認されていないすべての飛行物体を指す)は、その後20年以上存在し続けた。

最初はコードネーム「プロジェクト・サイン」として1948年1月に発足。1949年にはコードネームを「プロジェクト・グラッジ」と改称し、同年の12月に閉鎖されるが、1951年10月に「プロジェクト・グラッジ」は再開される。翌年の1952年にコードネーム「プロジェクト・ブルーブック」と改称し、同プロジェクトは1969年に閉鎖されるまで存続した。以後、アメリカ空軍は未確認飛行物体の調査を公式には行っていない。

脚注[編集]

関連項目[編集]