ピーター・ゼルキン

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ピーター・アドルフ・ゼルキンPeter Adolf Serkin, 1947年7月24日-)は米国のピアニスト

人物・来歴[編集]

父は大ピアニストのルドルフ・ゼルキンで、母は大ヴァイオリニストアドルフ・ブッシュの娘イレーネというニューヨークの音楽一家に生まれる。ピーターのミドルネーム「アドルフ」は、祖父アドルフ・ブッシュにちなんで名付けられたという[1]

幼少期はカール・ウルリッヒ・シュナーベルからピアノを習う。1958年、11歳になったピーターはカーティス音楽院で音楽を勉強し始め、ポーランド出身のピアニストミエチスラフ・ホルショフスキ、アメリカ出身のピアニストリー・ルビージや父親ルドルフ・ゼルキンから指導を受けた。1965年に同音楽院を卒業。学んだ教師の中にはその他にエルンスト・オースターマルセル・モイーズカール・ウルリッヒ・シュナーベル等もいた。

1959年には、父親ルドルフ・ゼルキン、祖父アドルフ・ブッシュが設立者の一員であるマールボロ音楽祭に出演し、初めてのコンサート出演を果たす。その演奏後、ジョージ・セル率いるクリーヴランド管弦楽団ユージン・オーマンディ率いるフィラデルフィア管弦楽団などを含む、実力のあるオーケストラから出演依頼が届くようになる。

1966年、19歳のとき、グラミー賞にて最優秀クラシック・アーティスト新人賞を受賞。

1968年、結婚し子供が生まれてから間もない頃、ピーターは音楽を演奏することを全く辞める決意をした。そして1971年の冬、彼は妻レジーナと小さい娘のカリーナを連れてメキシコの田舎の小さな町に越した。その地で8ヶ月が過ぎて行った。日曜日のある朝、ピーターは隣家のラジオからヨハン・セバスチャン・バッハの音楽が流れてくるのを聴いた。その音楽を聴いているうちに、「やはり僕は演奏をするべきなのだ、という気持ちが、触知できるほど明らかになっていくのが分かった」と彼は言う。そして休暇を終え、アメリカに帰ると、彼は改めて音楽家となった[2]

1973年には、メシアンの「世の終わりのための四重奏曲」を勉強する為に、リチャード・ストルツマンアイダ・カヴァフィアンフレッド・シェリーらと共に現代音楽演奏団体「タッシ」を結成した。同年5月には、西武劇場(現・パルコ劇場)の「Music Today」に出演[3]

今は5人の子供と2人の孫がおり、妻と共にマサチューセッツで暮らしている。

脚注[編集]

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  1. ^ Stephen Lehmann and Marion Farber, Rudolf Serkin: A Life (Oxford, 2003), p. 96.
  2. ^ Frank Conroy, Dogs Bark, but the Caravan Rolls On (New York, 2002), 186–195.
  3. ^ 公演情報 - ライブラリ MUSIC TODAYパルコ劇場

外部リンク[編集]