デニア

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'Dénia/Denia'

Bandera de Denia.png   Escut de Dénia.svg

Denia desde el Montgó.jpg
バレンシア州
アリカンテ県
面積 66.2km²
標高 22m
人口 44,035人(2008年)
人口密度 665.18人/km²
住民の呼称 Dianenses
Localització de Dénia respecte del País Valencià.png

北緯38度50分26秒 西経0度06分20秒 / 北緯38.84056度 西経0.10556度 / 38.84056; -0.10556

デニアバレンシア語:Déniaスペイン語:Denia)は、スペインバレンシア州アリカンテ県の都市。デニアは、ピラール・デ・ラ・オラダダへと続くコスタ・ブランカに属している。

歴史[編集]

最盛期のデニアのタイファ領域
デニア城

イベリア人の町ディニウ(diniu)がこの地にあった考古学的証拠があるが、デニアの発祥はローマ都市ディアニウム(Dianium)である。ディアニウムは、現在のデニアの北、旧デニア港に面していた。古い記録も考古学的な遺構も、紀元前1世紀にクイントゥス・セルトリウスen:Quintus Sertorius)の軍がディアニウムを海軍基地として定住したと示している。ローマ帝国時代、ディアニウムはムニキピウムとされ、繁栄の時代を過ごした。636年から693年までの西ゴート王国時代、デニアはトレド司教座の傘下に入る。

イスラム教徒による支配時代、デニアは都市の拡張の最高潮に達し、大きな文化的活力の時間を生み出す強さを持っていた。デニアはアラビア語名ダニーヤ(Danyya)となり、1010年にアミールのムワヒッド・アル=アミーリ・アル=ムワッファク(Muyahid al-Amiri al-Muwaffaq)の打ち立てたタイファの首都となった。このタイファは後にバレアレス諸島を併合した。王国に転換して重要な海運・商業中心地となり、ムワッヒド朝の侵攻を受けるまでは自前の硬貨を鋳造していた。

1076年に王イクバル・アル=ダウラは廃位されタイファは独立を失い、1091年にムラービト朝が侵入してくるまではサラゴサ王国のタイファであるアル=ムタディルスペイン語版英語版(Al-Muqtadir)に支配された。

1244年にキリスト教徒によって征服されるが、デニア住民の多くを占めたイスラム教徒を追放したことで、都市の発展に深刻な後退をもたらした。バレンシア全体に再植民がされ、アルバカル城が征圧されたデニアの村は、キリスト教徒の中心地となっていった。アラゴン王ハイメ2世は、1298年にデニアをアンプリアス伯ポンシオへ封土として与えた。後にデニアはガンディア家の支配下に入り、1356年よりデニア伯領となったが、アルフォンソ5世時代に王領となった。アルフォンソ王の王国不在のため、1431年にフアン・デ・ナバーラがデニアをカスティーリャ人ディエゴ・ゴメス・デ・サンドバルへ寄贈するという事態を促した。1455年、村の不満が高じて、王国への再統合を訴えた。1477年までデニアはバレンシア市に占領され支援を受けた。デニア伯領はサンドバルのものであり続け、1487年には侯爵領へ昇格した。第5代デニア侯であったレルマ侯はフェリペ3世の寵臣で、王はデニアに重要な資金と都市の地位を与えた。1609年のモリスコ追放により、25,000人ものモリスコ(キリスト教に改宗した元イスラム教徒)たちはデニア港からバルバリアへ発ち、侯爵領の経済破綻と人口減少を招いた。

18世紀初頭、デニアはスペイン継承戦争に公然と参加し、オーストリア・ハプスブルク家のカール大公(のちの神聖ローマ皇帝カール6世)をスペイン王に承認した最初の都市の一つとなった。戦争と、戦後の報復が都市の危機を招いた。最終的に1708年11月17日、ブルボン家軍によってデニアは占領された。城の損傷は深刻になり、スペイン独立戦争では崩壊が決定的となった。19世紀、デニアはスペイン王国に再統合され(1804年)、船乗り家業が徐々に発展し始め、1837年から1839年までは行政上の自治を得た。干しブドウの貿易が繁栄して商業ブルジョワが台頭し、外国企業がひきつけられたことで人口が増加し、1860年には人口6,000人あまりだったのが1900年には2倍の12,000人を超えた。

統計[編集]

20世紀初頭の、ブドウのフィロクセラによる被害で人口は減少したが、1960年代の観光ブームでデニアの人口は急激に増加した。

最新の国勢調査によれば、デニア人口の29.7%が外国生まれであり、そのうち59%がEU加盟国出身、24.6%が南アメリカ出身、10%あまりがEU以外のヨーロッパ出身者である[1]

経済[編集]

20世紀初頭の干しブドウの危機が、都市の一種の経済麻痺状態を促進した。1960年代より観光がデニアの主要経済部門となり、工場の消失や都市化の推進を引き起こした。

交通[編集]

姉妹都市[編集]

参照[編集]

外部リンク[編集]