ジョージ・イーストマン

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ジョージ・イーストマンの肖像が描かれた3セント切手、1954年
ジョージ・イーストマンの肖像が描かれた3セント切手、1954年

ジョージ・イーストマンGeorge Eastman1854年7月12日 - 1932年3月14日)はイーストマン・コダック社の創立者で、ロールフィルムを発明した。ロール式のフィルムの使用は写真機の主流となると共に、ル・プランス、レオン・ボウリートーマス・エジソンリュミエール兄弟ジョルジュ・メリエスらによる映画の発明のための基礎技術となった。

ニューヨーク州のウォータービル(ユーティカ郊外)に生まれた。1854年に、父親がロチェスター商業学校を設立し、イーストマンも1865年にロチェスターに移った。2年後、父親が死んで、イーストマンは高校をやめ、家族のために働いた。1874年に写真に興味をもったが、当時の写真はガラスに乳剤を塗って、乾く前に撮影するというものだった。3年の実験の後に乾式の写真板を開発し、イギリスとアメリカでの特許を取得し、1880年に写真の事業を始めた。1884年に写真の基材をガラスから乳剤をぬった紙に換える特許を取得した。ロールフィルムは連続撮影のスピードを著しく速くした。

ジョージ・イーストマンの家。国の史跡、および歴史的ランドマークに指定されている。内部は写真博物館になっている。
ジョージ・イーストマンの家。国の史跡、および歴史的ランドマークに指定されている。内部は写真博物館になっている。

1888年にロール・フィルム・カメラの特許を取得した。『あなたはシャッターを押しさえすれば、後は我々がやります(You press the button, we do the rest)』の宣伝文句と、顧客はカメラを送り返して、10ドルを払えば、フィルムを現像し100枚の写真と新しいフィルムを装填するシステムで市場を開拓した(この宣伝文句は社会の関心をひき、ギルバート&サリヴァンオペレッタ『ユートピア国株式会社』で使われた)。

1888年9月4日、イーストマンはコダックの商標を取得した。1896年までに100台のコダックのカメラが売れた。1900年にはブローニーシリーズを発表し、写真を大衆のものとした。1925年にはコダックの経営から退き、その後は慈善活動にはげんだ。100万ドル以上の寄付をロチェスター大学マサチューセッツ工科大学にした。

晩年の2年間は脊椎管狭窄症に苦しんでいた。そして1932年3月14日、イーストマンは自邸でピストル自殺した。遺書には、『友よ、私の仕事は終わった。なぜ待つのか?("To my Friends, My work is done. Why wait?")』と書かれていた。生涯独身であった。

彼の遺体は現在、ロチェスターのKodak Parkに埋葬されている。

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